日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎新嘗祭(621)

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令和三年十一月二十三日撮影

新嘗祭(621)

 前日より体調が下降し、心臓の調子が悪い。右足がゾウのように浮腫んでいたので、家を出るのが遅くなり、病院に着くと、もはや順番が最後の方のだった。

 今年はたまたま通院日と重なっていたが、この日は新嘗祭なので神社に参拝する必要がある。

 少し体調に不安があるが、病院からいつもの神社に向かった。

 なお固有名詞でなく「いつもの神社」と記すのは、私が「あの世」について記すことが多いため、無用な情報流布を抑える意図による。

 きちんとお務めをし、人々の信仰を集める神社・寺社には、必ず霊気の流れが生じているのだが、興味本位に接すると、相応の応報がある。常に敬意を持つことが必要だ。

 

 まずは昨日の「境内に入れぬ女」のところに向かったが、神楽殿で催し物の最中だったので、気配が消えていた。鐘や太鼓を叩くと、その音の振動で、あの世の者がその場を避ける。

 その音の拍子を聞いていたら、どこかで聞いたことがある。

 「これって、俺の田舎に近い方のだな」

 掲示板を見ると、「南部神楽」とある。「南部神楽」は岩手県南から宮城にかけて行われる神楽で、岩手県内の神楽の催事には、必ず出演している。それで私も見たことがあるわけだ。

 岩手ではその土地その土地に伝わる神楽があり、それぞれ固有の踊りやお囃子を持っている。

 私の郷里にも、玉山神楽や稗神神楽があり、小学生たちにも教えていると思う。

 

 「南部神楽」は明治の初めに大衆神楽としての起源を得て今に至るものだが、本来、山岳信仰で行われて来た「神楽」は、少なくとも中世以前に遡ることが出来る。

 今の奥州市付近の神楽については、少なくとも十六世紀末に記録を遡ることが出来る。(起源は勿論、それよりずっと前だ。)

 羽柴秀吉の第二次奥州仕置きに従って、上方軍が遠征したが、その際の記録に次のようなものが残っている。

 「奥州征伐惣大将の羽柴秀次は、大崎に布陣し九戸一揆に戦勝した兵団が帰還するのを待っていた。二戸から兵が戻るまで幾日かあるので、伊達政宗が秀次を誘い、当地の神楽を見物することにした。二人は連れ立って中尊寺に赴き、白山神社で神楽を見物した」

 

 ところで、「北上以南」であれば、厳密な藩政区分なら仙台領だ。何故に「南部」になったのだろう?

 ま、「陽が昇り、その陽が沈むまでが南部領」だから、あまり違和感はない。

 他の地のことは知らぬが、岩手県内の神楽には、必ず旭日旗が飾られている。明治初めの画像にも写っているものがあるから、旭日旗はそれより以前から用いられているようだ。

 南部地方なら、そこが紛れもなく「陽の上る地」(本州最東端)だったから、まさしく頷ける話だ。

 「旭日」は「希望」の象徴であり、さらに「日本人」の象徴だ。

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 神殿の前に行くと、やはり祝日なので参拝客が多い。

 撮影をし難い環境なので、目立たぬように数枚だけ撮影した。昨年は女の幽霊にべろっと顔を出されたが、この日はTPOが整わぬので、少し気が楽だ。

 最大の関心は「自分自身の周囲」なのだが、やはり私自身も含め、写ってはいなかった。

 日光が不足すると、どうしても調整出来ない。あるいは、すっかり暗くなればフラッシュの効果が出る。

 私自自身については、一枚だけ考えさせられるものがあった。

 一枚ガラスに映っている私の顔が二つに割れている。継ぎ目ではなく、ガラスに歪みがあるわけでもないので、別の理由だ。

 これが起きるのは、幽霊が人の中に入り込もうとしているケースだ。

 幽霊が人間の魂と同化し合体しようとする時には、相手に悟られぬように近づき、その人の姿に化け、その相手に重なる。心の中に入り込んで、その相手と同一化するわけだ。

 その結果、よく言われることだが、「人が変わる」という変化が生まれる。

 私は「アモン」という者に半ば同化して(されて)いるのだが、今回はアモン(かその仲間)がほぼ入り込んだようだ。

 おかげで、心の中の「怒りの炎」がまったく鎮まらない。

 ま、まだ自覚があるし、姿を確認出来るから、統制することは出来ると思う。

 完全に同化すれば、もはや自他を意識することもなくなる。

 「コイツのことはけして三代もたせぬぞ」と、次から次へと呪詛にかけるようになる。

 

 他の画像では、幾らかはっきりした歪みが出ていた。

 実は、いつも「ここに何かがいる」「女(男)がいる」と記すのは、人の姿を見て言っているのではなく、景色(光)の歪みを見て指摘することだ。「何か」「女」「男」は、想像や妄想の域になる。

 目視、画像に関わらず、そこに何かがいる時には、周囲の景色(光)はひたひたと揺れる。

 これは私自身が「お迎え(死神)」に会った時の経験から習い覚えたことだ。

 「この世ならぬ者」の周囲は波紋が広がるようにひたひたと動いていた。

 

 右側(元の画像では中央)の女性は、正直、よく分からない。

 小さな老婆を肩車している筈だが、かたや女性の右肩にあるのは何か?

 持ち物(鞄の類)ではないと思うが、何かが分からない。

 「あの世」には、妖怪みたいなヤツから、小人みたいなヤツまで、想像を超える者がいると分かってからは、尚更、想像がつかなくなった。

 

 もう少し環境が整えば、鮮明な記録を残せる。

 人為的にTPOを整える必要がありそうだ。

 

 いつものことだが、時々、体調が危機的状況に陥る。

 寿命自体は終わっているのだから仕方が無いわけだが、尚更、残りの時間をどう使おうかと考えさせられる。

 とりあえず、「怒りの雷」を幾度か振り下ろすことになると思う。

 最近、「仲間になれ」と呼び掛けるようにしたら、これまで常にバタバタと騒いでいた者たちが急に静かになった。その替わり、幾らかが中に入り込んで「アイツらに祟りを与えてやれ」と囁く。