日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「整理品63-70」

63-70

◎古貨幣迷宮事件簿 「整理品63-70」

 まだ病臥に至らぬようなので、このまま四月も続行し、部屋を片付ける。

 過去に解説を加えた品が多いので、特に改めて記すこともなさそうだ。

 

 63和同枡鍵は代表的な江戸期の絵銭で、地金の練がすこぶるよい。黄色いと何でも新しく思う人がいるわけだが、古い絵銭は古寛永や背文銭の上質のものに似ている。

 64砂金駒(替)はおそらく仙台領のものだろうが、地金が寛永背千に似ており、「仙台絵銭」として面白い品だ。NコインズO氏が発見し、すぐさまK村氏に渡ったが、初見品のまま、後続の発見が見られなかったようだ。

 仙台のコレクターの反応があるかと思い、さりげなく掲示して来たが、どこからも情報が出て来ないので、存在数は希少らしい。地金のつくりは新しいものではない。黄色いが幾らか白銅寄りだ。私は先輩方と同意見で、これは仙台絵銭の名品だと思う。

 奥州絵銭の多くは木型を出発点とするが、これは金属板を彫金した原母を使用している。ということは、場合によっては銭座が関与した品かも知れぬ。

 65千両駒は意匠自体は江戸期の絵銭譜に掲載されていたと思う。展開があり、奥州の仙台領から南部領にかけて、別途作られた品のようだ。この銭種のバリエーションを集めている収集家のコレクションを見せて貰ったことがあるが、かなり古い品もあり系統的な整理が可能になっている。私としてはこれも仙台領ではないかと思う。

 66寛永駒など三種は、寛永駒(左)、瓢箪駒(右)は割と古い。中央の大瓢箪駒は意匠としては類例を見ぬ品だが、明治の地金のように見える。ま、絵銭でもあり時代はあまり関係なく、市中流通の絵銭の多くは明治から大正時代の品が大半だ。

 67南部中字(盛岡銅山手中字)は、型・地金とも標準的な銭で、これとまったく同じ作りの盛岡銅山銭(背異)が確認できる。

 南部天保では、まだ栗林銭と山内銭の明確な線引きという課題が残っているが、この銭は役に立つと思う。ま、検証には銅山銭の検分が必要だから、各方面(収集家)の協力が不可欠ではある。

 ついに南部天保とも別れの時が来たかと思うと、少しく感慨を覚える。

 まだ、当百を含め、古銭を大量に所持している旧家を知っているだけに、心残りはあるのだが。その旧家の代替わりが来る前に、当家の代が代わってしまいそうだ。

 68中郭手は型自体、過去の天保銭譜に掲載がある品だが、これまで見たこの銭種とは地金がまるで違う。当初は「会津銭だ」と思い心臓がドキドキした。

 正確には、会津の職人が関与したのではないか、ということ。

 ま、銭種(型分類)以上に地金や製作手順にこだわりを持つ者はごく少数派であり、心が伝わらぬとは思う。それも情勢ということ。

 69から70は、意匠は面白いのだが、明治後半から大正くらいの作だと思う。

 地金の配合と練に特徴が出ている。

 

 絵銭と天保不知銭、密鋳寛永銭は地金や製作の照合で、「作り方(製造工程)」に共通点を見出せる場合がある。ま、そんなことは各々のジャンルの収集家は皆が承知していることだ。ただ議論の俎上に上りにくいだけ(話しても通じるものが少ない)。

 今晩くらいから、再び出品の掲示を再開する予定。