日刊早坂ノボル新聞

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◎状況は変わらず(635)

令和四年三月二十八日撮影

◎状況は変わらず(635)

 三月二十八日に桜を見るために神社に立ち寄ったのだが、この神社はたまたま私が頻繁に参拝する神社だった。

 趣旨が違うので、花見の件とは別記することにした。

 

 神殿前で数枚撮影したが、状況は前とほとんど同じだった。

 不鮮明だが、何が起きているのかはこれまでの経験で分かる。

 ま、これくらいだと他の者には見えないが、そんなことはどうでもよい。

 私に関わる者なので、私だけに意味を持つ。

 他者の理解や共感は不要だ。自分なりにリスクを感じれば、すぐに手を打つから、こうやって生きて来られた。

 私の左肩にはがっしりと「女」が掴まっているが、しがみついているという表現の方がよさそう。

 まずは今月を越えること、また桜の花が咲くのを見届けるのが「ヤマ」だと思っていたが、その状況は変わらぬようだ。

 始終息苦しく、息をする度にぜいぜいと音が響く。これが花粉によるものか、あるいは心臓の影響かは不確かだ。まだ血圧が極端に上昇してはおらず、普通に「高い」程度なので、しばらくは様子見だ。

 とにかく生き残ってこそで、生活の立て直しなどその先の話だ。

 拡大して確認したが、かなり気持ち悪い者が来ているので、「巫女さま」でも何でもない。黒玉を連れているので、善霊でないことは確か。

 

 二枚目の右側に着物の女性の後ろ姿が見えているが、腰から下が無い。

 椅子に座っているからかと思ったりしたが、室内の調度品の高さから見て、立っているようだ。ま、これはカメラ位置や角度によって見え方が変わるから、保留しておく。

 拡大すると、長椅子の状況とは合わぬようだ。

 ということを確認していると、右隅に「女」がいることに気付く。

 頭の部分だけだが、両手を合わせ、何事かを祈願しているらしい。

 もちろん、室外には存在しない女で、ガラスにだけ映る。

 ぼんやりとしており、気付き難いのだが、私はこの場所を六百回以上訪れているから、過去にも同じ「女」を複数回見たことがある。

 死ぬと思考能力が無くなる一方、ぼんやりと生前の習慣を繰り返したりする。

 来る日も来る日も神社に来て、何事かを祈願しているとしたら、まこと哀れな話だと思う。

 この「女」については、目視できる人が割合いると思う。

 もちろん、景色の中に埋没しているから、いつもよくよく気を付けてみる習慣を得ていないと、何のことか分からぬと思う。

 

 ま、私と関わりのない件についてはどうでもよい。

  私については、「危機はまだ続く」ということだ。ただ、状況を教えてくれるだけ、まだ手が打てる。

 

追記)着物の女性が長椅子に腰掛けているなら、お尻で長椅子の上の部分が隠れる筈だが、それらしき影はない。