日刊早坂ノボル新聞

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◎「あの世」が存在するのは客観的事実

令和元年十一月二十九日撮影

◎「あの世」が存在するのは客観的事実

 何年か前に、たまたまある神社を訪れて、神殿前で記念写真を撮影した。

 正面はガラス窓で、室内の様子が見える。また、日中だからガラス面に外の光が反射して、自分の姿が映っていた。

 その時は周囲に誰もおらず、私一人だけだったのだが、しかし、画像には別の人影が写っていた。

 状況を確かめると、室内にいる人物ではないし、何故人の姿が映るのか、その理由が思い当たらない。

その神社を訪れるのは、専ら「境内にいる猫に会いたい」という理由からだったのだが、同時にこの方面からも調べることにした。 

 以来、五六年も撮影を続けたのだが、「幽霊が実在するもの」で、かつ物質的な存在だという確信と、証拠らしきものが得られた。

 死んで肉体が活動を停止した後も、自我(自意識)はある程度の間、存続し続ける。

 自身を再確認する術は、専ら五感によるから、死によってそれを失うと、自我(自意識)は時の経過と思に崩壊し、断片的な感情と記憶に分断されて行く。しかし、死に間際に強い感情を抱いたり、念を持っていたりした場合、自我は割合、死後長きに渡り残るようだ。

 また、自我の痕跡は、精神世界にだけあるのではなく、物的な存在としてのものだ。これには、おそらく未知のガス状の物質が関与している。

二枚ガラスの継ぎ目の左右に、幽霊(残存自我)が二重映りすることがあるが、これは物体として存在していることを示すものだ。

 

 このことを単に「信じる」「信じない」の次元ではなく、「客観的に存在している」という結論に至ったのは、令和元年頃になる。

 この年と翌年には、それこそ次から次へと画像に人影が残った。

 そして、その中には「幽霊(死後の残存自我)の存在は動かしがたい事実」と見なされるような画像が混じり始めた。

 ここに至るのに既に数年掛かったわけだが、これはTPOを探り当てるのに手間がかかったためだ。

 幽霊が画像に写りやすいのは、下記の条件が整っていた時になる。

1)時間帯は、午前午後とも二時から四時の間が最も多い。

2)日光などかなり強い光。もしくは複数の角度からの光照射がある。

3)人間の可視域を超える撮影環境(カメラの性能)。

 今現在はこの時と同じ神社に行き、そこで撮影しても、あまり写らなくなっている。これはすぐ隣の山の木々の背丈が伸び、日光を遮るようになったからと考えられる。

 

 画像は令和元年の十一月二十九日のものだ。

 平日の午後四時過ぎなので、参拝客が少なく、私の前に一人いただけだった。

 その客が去り、そこで私自身を撮影したが、ぼんやりと人影がガラス面に残っている。

 背後ではなく、私の前にいるから、「気付かなかった」ということは起こり得ない。

 ③④が一枚目、⑤以降が二枚目だ。

 もっとも判別しやすいのは⑥以降の拡大画像に見える「老女」になる。

 半透明なので見にくいのだが、この「老女」とすぐ奥隣にいる「看護師?」については、人影だと認識しやすい。

 

 今回、なるべく元の画像に近いかたちで拡大してみた。

 どうしてもわかりにくい箇所だけに丸印を付けている。

 この当時は分からなかったが、今になり付記すべきことは、「他にも沢山いる」ことと、「老女」が別の幽霊を背負っていることだ。

 幽霊は別の幽霊に寄り付くが、これは相手を吸収し、自我を強固にするためのようだ。

 簡単に言えば、自我の存続(生き残り)のために、他者に取り憑く。これは相手が幽霊だけに限ったことではない。

 

 多くの人は「死ねば終わり」だと見なす一方で、死後の自身について不安や惧れを感じている筈だ。

 だが、死んだ後にも自我(自意識)が存在し続けることを受け入れれば、死後を見据えた生き方を考えるようになる。「穏やかな死後」を迎えるためには、それなりの準備が必要になる。

 

追記)看護師風の制服を着た女性のすぐ右上に「ガラスの引っかき傷」「稲妻」のような線が見えるのだが、実際にはここに傷はない。環境が変化し、光や磁場に異変が生じるので。こういう筋が出るようだ。