日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ざくざくとメッセージが来る  (二年前の振り返り)

f:id:seiichiconan:20210828024620j:plain
f:id:seiichiconan:20210828024610j:plain
f:id:seiichiconan:20210828024600j:plain
f:id:seiichiconan:20210828202741j:plain
f:id:seiichiconan:20210828024539j:plain
令和元年九月から十一月の画像

◎ざくざくとメッセージが来る (二年前の振り返り)

 これから例年通りの「秋」が始まる。

 そのことを覚悟するために、二年前の画像を点検してみた。

 その当時には分からなかった状況が、時間を置くと、見えて来たりする。

 これは昨日のうちに見ていたものだが、画像をアップしようとすると、PCがフリーズしてしまう。三度同じだったので、一旦休止し、通院をして来てから、丁寧に頼むことにした。これは念のためだ。きちんと話を通すと、スムーズに動くようになったりする。

 お焼香をし、「私を含め、あの世が見えぬ者ばかりですので、きちんと知らしめてください」と頼んだ。

 ひとまず、すぐに画像の貼り付けが出来るようになった。

 やはり、あの世に向き合う時には、「常に謙虚でいる」必要があることを実感した。

 

 さて、画像は二年前の秋のものだ。この年は一年を通じ、あの世の住人(幽霊)が割と頻繁に、かつ鮮明に姿を見せていた。

 最初のは九月十二日の画像だ。平日だったので、境内には人が少なく、神殿の前には誰もいなかったのだが、右手に半透明の人影が見える。

 これは画像ではあまり鮮明ではないが、目視の方がよく見えるというパターンだった。(普段これと逆だ。)

 着物を着た女が背中を向けているように見える。

 背中を向けているが、メッセージ性がある。こういう時のメッセージは、多く「自分が見えるのか?」みたいなことだ。

 視線を向け、「これは何?」と疑問に思い、関心を振り向けると、こういう女はこっちを向く。

 

 次の画像はそれから二十日後のものだ。右半分は、時々、「幽霊の隊列」を例示するのに使用するから、既に見たおとのある人が多いと思う。

 この時も、撮影時点では私一人だけなのだが、周囲には複数の人影が寄り付いている。

 いつも「あの世」に関心を払い、気を付けているから、逆に先方の眼にも止まりやすい。頻繁に手を掛けられるし、肩に頭を載せられる。

 ただ、対処法を知っているから、別段何も起きない。

 一番ダメなのは「恐怖に駆られ騒ぎ立てること」だ。恐怖心を覚えると、心臓が早く鼓動を打つわけだが、同時に心も揺れ動く。すると隙間が出来るようで、その隙間から幽霊が入り込む余地が生まれる。

 冷静に眺め、相手が何を求めているかを知り、それに応じて対処すれば、大きなことは起きない。幽霊が求めるのは、基本的に「同化・合体すること」で、災いを与えることではない。 

 「常に敬意を示すこと」、「好奇心で近づかぬこと」のは勿論だが、きちんと間に線を引くことが大切だ。

 

 さて、この画像の右側は見慣れたものだが、左側についてはあまり触れたことが無い。公開したのは一度か二度ではないかと思う。

 その理由は「不鮮明だった」ということだが、あれから二年が経ち、画像の不鮮明さにはごまかされなくなった。

 殆どの家のお風呂場には、扉に摺りガラスが使われていると思うが、あの世(幽界)は、その摺りガラスを通して見た景色と似ている。お風呂の場合は中に明かりが点いているから、それでも「人がいる」と分かりやすいが、あの世の状況は「明かりの点いていない」風呂場に似ている。見えるのはごくわずかで、人がいるような「気がする」という次元の話だ。

 だが、同じ場所を何百回と撮影しているから、景色の中に何があるかを重々承知している。よって、その景色には無いものもそれと推測できる。

 

 この画像の左側には門の陰から白いものが少し出ている。

 今はこれが女の顔だと思う。

 恐らく丸髷で、要はひとつ前の九月の画像で、背中を向けていた女だと思う。

 女に「見込まれた」瞬間だ。

 ここ数年、秋から冬にかけては体調が悪いのだが、この年も二月頃まで具合が悪かった。

 良からぬ者をぞろぞろと抱え込んでいたのなら、それも致し方ない。

 繰り返しご供養を施し、慰めるように努めるわけだが、それでも数か月はかかった。

 

 いつも何も「見えない」「聞こえない」「感じない」方が幸せだと記すが、これは「つい見てしまう」者のことを、先方も「自分を見ている」と気付くからだ。そして、一層寄り付いて来るようになる。

 「そんなものは気のせい」「存在しない」「死ねば終わり」と信じられる方が、余分な苦痛も困難も無く過ごせる。スルーする者には、寄り付きようが無いから、幽霊の方も長く留まらない。

 もちろん、それも死ぬ直前までの話だ。

 死期が迫ると、殆どの者があの世の住人の妄想を観るようになるが、その中には本物が混じっている。幽霊は「死」の臭いに敏感に反応する。

 常に穏やかに生きた者は、死んだ後、幽霊のまま長く留まることはないが、「欺瞞」や「傲慢さ」を抱えていた者は、死後にツケを払う必要がある。

 この世にもあの世にも一方的に与えられる「恵み」など存在しない。今生のツケは、あの世で払う。