◎病棟日誌 悲喜交々 9/21「鰆の甘酢餡掛け」
夢と夢の後でこの世の者ならぬ男に「緑の紙」を差し出されてから、何だか体の調子が悪い。翌日の夜には、夜中に目覚めると、体が硬直して動けなくなった。一般的には「金縛り」と言うが、これ自体は体の反応で、心身のバランスが悪い時に起きる。
問題はその引き金が何かということだけ。
「ま、見りゃ分かる。今日は帰りに神社に寄ろう」
病棟に行くと、この日の穿刺はユキコさん。ああ、良かった。
調子が良くない時に、変な医師に当たったり、ヘタクソな看護師に針を刺されたりすると、ゲンナリする。
ユキコさんは、山家育ちで、私と空気感が同じだ。すこぶる居心地がよい。
すぐに「あまり眠ってないでしょ」と指摘された。
この辺も気配だけで悟られてしまう。
この人には、あの世系の話をしても大丈夫。既に画像を幾つか見せている。私が色んなところに行き、「穴」を閉じるための供養を施していることも知っている。ま、数年前には、ユキコさんの家の近くの湖に、月に三四度は行き、焼香をしていた。
「いやあ、夢で男を見たら、眼が覚めた後でもそいつがいたんですよ。自分ちの居間に」
そして、その男が「緑色の紙」を差し出したことを話した。
「ありゃ一体どういう意味なのかが、まったく分かりませんね。緑色の紙って何ですかね。召集令状なら赤紙と決まってますけど」
イカれた話だが、ユキコさんは普通に聞いている。ま、私が撮影した幽霊の写真を何枚も見ている。
「保険証じゃないかしら」
「面白いね。ユキコさんに座布団一枚」
ある日突然、幽霊が現れて、差し出して来たのが「保険証」。
ま、緑色の紙と来れば、実際、見た目保険証だわ。
「一応、帰りに神社に寄って自撮り撮影することにしてます、TPOが合えば実体を捕まえられるかもしれんので」
この話の流れで、「人は死んだらどうなるのか」「あの世は百%存在している」と言った方向に進んでいた。
ここで我に返ると、周囲の患者や看護師が全員、私の話に聞き耳を立てていた。普段は話し声が聞こえるのに、今は皆が沈黙している。
ここは重篤な患者が殆どの終末病棟だから、生き死にの話には敏感だ。明日は我が身に降り掛かる。
そこで、話を切り上げることにした。
「じゃあ、上手く撮影出来たら見せますからね。怖くない時に」
一発であの世の所在を確信するような画像を見て喜ぶ人はいない。それまで信じて来たことが、一瞬で崩れるからだ。人は自分の信じたいように外界を眺める。「気のせいかもしれぬ」という逃げ道がないと、精神にカタルシスを起こす。
(ちなみに、たった今、プリプリ普通電話が反応した。そこで「見てたか。今後も協力して行きましょう。俺がいないと困るだろ。君たちを正確に認識出来る者は数少ないもの。俺はきちんと供養してやるから、俺にはちょっかいを出さずスルーしておけ。さもないと今より苦しくなるよ」と伝えた。)
画像はこの日の病院食。普通の患者は、たぶん、鯖の甘酢餡掛けだが、私は鯖が苦手なので、鰆になっている。
材料費の関係なのか、二口で終わるから、ご飯を食べるのがしんどい。
他の患者では、ほとんど手を付けずに食事を止める者もいる。
介護士のバーサンが来て、悔い残しのあるトレイを眺めていた。
「Sさんは今日は食べてくれなかったね。一割しか食べてない。どうしてだろ」
トレイを前に考え込んでいる。
このバーサン。きちんとした職業意識を持っていやがる(w)。「一割食べた」を記録するだけではなく、その患者の状況について考察していた。
思わず助言をした。
「甘酢餡掛けが酸っぱいからですよ。除水の後は体が渇いているから、刺激が強すぎて感じられる。健康な人なら何でもないことですが、病人には食べられぬ人もいる」
これは仕方がない。栄養士も調理師も病人ではないから、細かい感覚までは分からない。
私も酢漬けは嫌いだが、「食べるのも仕事」だと思って食べる。今はまた生き続けるためのテーマを見付けたから、体勢を整える努力は惜しまない。
テーマを持たないのに、ただ姿勢を誇張するどっかの総理大臣とは生き方が違う。ま、あの人は殆どの人と考え方が違う。
「姿勢」とか「努力」すること自体がテーマに置き換わっている。
患者の食い残しのトレイの前で腕組みをする介護士バ-サンの姿を見て、心底より敬意を覚えた。一つひとつのことを誠心誠意取り組む姿に学びがある。仕事や人生の各所を舐めていない。