日刊早坂ノボル新聞

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◎霊を撮影する方法

霊を撮影する方法

 このところ、あの世の者に「緑の紙」お出されたり、夜中に体が硬直したりと、変事が続く。

 木曜になると、異様に体が重くなっていたので、神社でセルフチェックをしてみることにした。

 看護師のユキコさんにも、その説明をした。

 「以前にも、『たぶん、今は寄り憑いているだろう』と思って、撮影したら、その考えの通り、そこにはいない筈の人影が写りました」

 その時の撮影条件は、次の通り。

 

1)午後二時から四時の間。これは季節によって変わる。要は日光の照射角度に関係している。

2)ガラス窓に自分の姿を映す。

 これらは前提条件だ。

 ユキコさんに前回、前々回に撮影した時の状況を話していて、気付いたことがある。

3)カメラを真っ直ぐガラスに向けない。

4)視線をガラスに向けない。

 「見ようとする」「撮ろうとする」と、それが先方に伝わるのか、写る頻度が著しく下がる。

 よって、「なるべく幽霊のことを考えぬようにする」方が撮影しやすくなるようだ。

 「撮ってやろう」「それをネットに公開しよう」「受けてやろう」みたいな考えを持つのは厳禁だ。魂胆があると、その心情に呼応する者が共感して寄り憑くから、良からぬことが起きる場合がある。

 「都合よく利用されて、それを快く思う者はいない」のは死者でも同じ。

 私はこれを見た人がどう思うかにはまったく興味がない。私が語り掛けているのは、たぶん、五人くらいいる筈の私と同類の者に対してだけ。

 

 今のところ、これで撮影確率が高まるのは確かだが、しかし、それでも「いつも写る」わけではない。

 百回に一度が、二三度に高まるだけだが、しかし、それは「たまたま写った」こととまったく意味が違う。あの世は実在すると確信し、それを確かめるために撮影して、その予測通りに撮影出来るのであれば、これは既に信仰とか宗教の問題ではなく、科学の領域にあることを意味する。

 「視線を合わせぬが、しかし、被写体の周りを詳細に撮影する」のは、割と難しくて、私自身の周囲にうまく焦点を合わせることが出来ない。これは今後の課題だ。

 

 結果の詳述は控える。認識出来ぬ人が殆どだろうし、こういうのは私だけに関わることなので、私が理解し、対策を立てればよいだけのこと。

 思った通り、体が尋常ならぬほど重くなるには、それ相応の理由がある。

 

 画像では、前後のガラス戸、もしくはガラス戸の合わせ目の左右で、私が二重映りしているように見えるのだが、別人だ。

 左側の顔は髪が長く、膝丈のスカートを巻いた脚が写っている。

 昨年の「膝丈スカートの女」を思い出すが、それと同一であるかどうかはまだ分からない。左側だけに丸い光が見えるが、フラッシュ光なら両方に映るので、それではない。また、この日の私はピンク色のマスクをしており、白ではないからマスクでも無い。煙玉ということ。煙玉はそれ自体は自然現象だが、霊的現象の付帯物として現れることがある。

 

 画像ではよく分からぬが、右の脇腹の辺りに、八歳くらいの女児がいて、シャツを掴んでいる。これは触感(体感)で言うことだが、ここに来ると、時々、この子が私に寄り添う。小さい手の感触があり、それがいつも同じ者の印象だ。姿を捉えたのは一度だけで、その時も不鮮明だったが、手の感触は鮮明に分かる。

 他にもいるようで、少なくとも五六体が群がっており、あるいはさらにその背後にムカデ行列が続いているかもしれん。それなら、体が重いのも当たり前だと思う。

 

 幽霊は感情だけの存在で、「溺れる人」と同じ境遇だ。助かりたくて、必死になり、手が届くものに縋りつく。私が心停止の経験があり、幾らかあの世と通じるところがあるので、存在を察知して寄り憑いて来るのだと思う。

 手を引き剥がさぬと、普通の生活が出来ないので、一人ずつ引き剥がす。

 「傍に居ても良いが、しかし、二㍍くらい離れていること」を教える必要がある。

 

 ここでユキコさんと話したことを想い出した。

 「こうすれば幽霊が写りやすいといくら説明しても、それを人選してみる人はこれまでいない。ま、百回くらい続ける必要があるわけで、面倒なのかも」

 すると、ユキコさんが笑った。

 「そりゃ、実際に写ったら嫌ですもの。自分の肩に頭を寄せる幽霊なんて見たくないです」

 それもそうだ。「偶然」とか「たまたま」の入る余地があるから、逃げ道があるが、もし「写るだろう」「写るかもしれん」と思いつつ、撮影して、その通りに写ったら、もはや「死後にも意識が残る」ことを認めなくてはならなくなる。

 だが、いつも記すが、「死ねば終わり」と言う考え方こそ幻想に過ぎない。

 死後の存在はあるし、さらに自然界の法則に従って存在している。もちろん、それはこれまで宗教が語って来たような死生観とはまったく別の世界だ。

 

追記1)私の左腕が二本写っているが、右腕と太さがまったく違う。そもそも女性の腕だし、その上にある顔は女のもの。
 女性が空中に浮いているように見えるのは、私が背負っているからだ。これではさすがに重い。

追記2)女が宙に浮いているように見える理由は、やはり「私がおんぶしていたから」。やたら体が重いし、左肩が凝るのはそのせい。
おかげで、今日某大学病院に行く予定だったのに、月曜に変更になった。
こういうのは、体感ときっちり一致するから、迅速に対処出来る。女はともかく、「黒いひと」のような姿があるから、こちらはさらに要注意だ。

 一発書き殴りで、推敲も校正もしません。眼疾で文字がよく見えぬので、総てブラインドタッチによります。