◎煙玉現象について
繰り返し解説して来たことではあるが、時々、整理して検索しやすいように情報を整える。定義的なものは、最初のスライドに示したのでそちらを参照されたい。
もちろんだが、霊的現象を研究をしているわけでも、興味を持っているわけでもない。実害が時々起きるので、それを防止する手立てを考える一環として調べている。
①滝の周囲に出る煙玉 (概ね蒸気玉)
宿谷の滝を訪れた際に撮影したもの。森の中や地下室など湿度の高い場所や、高地など気圧変化が生じやすい場所でよく撮影される。ほぼ自然現象なので、これが写ったからと言って気にする必要はない。気圧と湿度の関係が条件を満たせば、蒸気玉は写る。
ただ、これを撮影した当時は、百メートルほど下った林の奥に交流点(穴)があった。人影や煙が度々写ったこともあり、付帯的現象だったのかもしれぬ。
その後、穴は閉じたようで、滝の周囲で撮影しても、煙玉が写らなくなった。
②城館の中に出る煙玉 (蒸気玉)
八戸根城(ねじょう)の復元施設の中で撮影したもの。
煙玉が自然現象と目されるのは、場所を問わず条件が合えば出現することによる。
この城館は復元施設であって、昔から存在したものではない。この土地自体は城があったところだから、因縁を言えばこじつけられるが、この日は雨で湿度が高かった。
ちなみに、新築のビルや家屋にも煙玉は出る。もちろん、霊的現象の方も、いわくのある場所だけに起きるわけではないから、やはり言い訳はつく。
だが、いちいち気にしてはいられぬわけだし、湿度の高い撮影環境であれば、まずは蒸気玉を疑うべきだ。問題が生じぬのであれば、突き詰めて考え、分類する必要はない。好事家的関心は無用で、「藪を突くと蛇が出る」こともあると思いなした方が良い。
③闇の中に浮かぶ煙玉 (蒸気玉か)
暗くなってから、屋外で撮影すると、頻繁に煙玉が写る。最初は不思議に思い、様々な場所で撮影してみたが、それこそ日常茶飯事的に写る。
のべつ幕なしに写るのであれば、気にしてはいられぬし、する必要もない。
気温が下がって行く中で生じた煙玉だから、何らかの自然要因であろうと思われる。
「何かしら霊的現象の付帯現象である場合がある」ことだけを念頭におき、普段と同じように行動すればよい。日頃から敏感なたちの人であれば、多少周囲に気を払う必要はある。
④人込みの中の煙玉 (蒸気玉の可能性が高い)
会合の風景を撮影すると、うっすらと煙玉が写っていた。採光の加減ではっきりする時とそうでない時がある。
人が多いので、熱気の影響で蒸気玉が写ったのかと思っていたが、人込みの中に「黒いひと」の影が出ていると思う。こういう画像を何百枚も見て来た者でも、何年も気が付かぬほどだから、殆どの人には見えぬと思う。
いずれであっても、さしたる影響はない。
⑤体の上に出る煙玉 (生体反応か)
私自身が被写体になった画像には、煙玉がよく写るのだが、多くの場合、体から少し離れた空中を飛び交っている。
ただ、時々、体の上に「丸い玉」が出ることがあるが、よく見ると、通常の煙の玉ではなく平坦な光り方をしている。(普通の煙玉のこともある。)
そして、これが私の体に出ると、数か月以内に病気になり、長短期の入院を余儀なくされた。状況的には、何らかの身体的な異常を反映するものではないかと思われる。
霊的現象とは関係はないようだ。
⑥子どもに混じる煙玉 (説明の付かぬ煙玉)
子どもは生命エネルギーが強いためか、霊的現象を引き寄せる。
この小学生の行事の際に撮影した画像には、分かりやすい位置に煙玉が出ているわけだが、この他に「そこにはいない筈の人影」が複数混じっている。
家人は小学校勤務だが、学校内で撮影した画像には、あきれるほどたくさんの煙玉が写っている。鍵になるのは「子ども」ということだろう。
煙玉自体は「単なる反応」なので、特にこれを気にする必要はない。
人影の方は、子どもや親たちが楽しそうに活動しているので、それに誘われて出たものだろう。これも差し障りはない。
⑦旅館の部屋に出る煙玉 (説明の付かぬ煙玉)
伊豆のある旅館を家族で訪れた時に撮影した画像だ。これまでも公開して来たから、見たことのある人もいると思う。
特にいわくのある旅館ではなく、ごく普通の七階建てくらいの温泉旅館だ。
くつろいだ瞬間から画像に煙玉が入り始め、それから三分間くらいの内に撮影した画像には、いずれも煙玉が写っている。それと同時に、窓に煙状の顔が出たり、私の姿が理不尽に訂正されていた。
よくありがちだが、私はカメラの方を向いているのに、ガラス後方に映る私も同じ向きを向いていた。通常、私の後ろのガラスには、私の後頭部が映る。
状況的には、主たる要因が霊的現象の方で、煙玉はそれに付帯して生じた物理的反応だろうと思われる。霊的現象を示す画像は、時間の経過と共に変化するが、当初割と鮮明だった顔ふたつは、今ではほとんど判別できなくなった。
長い間、訪れる先々で、煙玉なり人影なりを見て来たが、霊的現象は「スポット」だとか「いわく」だとかにはまったく関係なく起きる。新築のビジネスホテルでも、壁の外から声が聞こえたりするし、煙玉や人影が写ったり、実際に現れたりする。
そのことが分からず、答えを探して来たのだが、最近になり、ひとつの共通の要因があることに気が付いた。
それは「どの場所にも、その場に私が立っていた」ということだ。
先日の八幡さまでの寄り付き方を見ても分かるのだが、私は「幽霊の側から見易い者」、「発見されやすい者」であるようだ。
たぶん、これは、過去に私が心停止を経験したことがあることと無縁ではないと思う。
煙玉画像なら百枚単位であると思うが、数が多いだけに整理の手が回らない。
下は一例だ。純粋な自然現象も、「説明の付かぬ」ものもごったまぜ。
以下は笑い話。
かなり昔、ある心霊番組に、欧州の自称霊能者が出演していた。
その霊能者の案内で、撮影スタッフが古城の地下に行くと、床にはくるぶしが浸るくらいの水が溜まっていた。当然だが、埃もあれば湿気もある。
スタッフがフラッシュ撮影をすると、画像には沢山の「白い玉」が写った。
すると、その霊能者は「ここに沢山の霊たちがいます」と厳かにのたまわった。
当家ではゲラゲラ笑って、チャンネルを替えた。
「コイツも壷を売る方の手合いだわ」
煙玉自体は物理的(もしくは化学的)反応であるだけで、それは「窓」の役目を務めることはあっても、それ自体にはあまり深い意味はない。
空に埃など芯になるものがあり、周囲に水蒸気が満ちていれば、雲が出来、それが一定の密度になれば雨になる。それと理屈は同じことだ。雲や雨を見て、これに「霊的な意味がある」と唱えることほど愚かしい行為はない。単なる物理的現象のひとつだ。
ま、その自称霊能者が、「本当は何ひとつ見えぬ詐欺師」かどうかの尺度にはなる。
もし経験を積んだ者なら「これは基本的に自然現象だが、例外もある」と答える。
それ以前にそもそも「特別な霊能力」などというものは存在しない。もしそんなものがあるのなら、能力者はいつでも「幽霊を出して見せられる」筈だ。
心霊写真についてあれこれ因果を語る者は居るが、目の前で撮って見せてくれる者はこれまで聞いたことはない。ま、TPOに習熟すれば、これと言う時にソコソコの撮影は出来るようになったりする。霊的現象からも煙玉は派生することがあるが、双方がイコールの関係ではない。