◎何故に稲荷と相性が悪いのか
私は稲荷神社と相性が悪いようで、境内に入ると気分が悪くなる。
地元の神社当番で稲荷の清掃に行った時に、立っていられぬ状態になり椅子に座って休んだ。近所の人には「怠けている」と思われただろうが、グラグラと眩暈がしたことによる。
前々から「神社で気持ちが悪うくなることがある」と思っていたが、稲荷を意識したのはその時からになる。
その後、東伏見の稲荷の前を通りかかったことがあるが、鳥居を潜ってもいないのに気分が悪くなった。駅まで歩くのが難しくなり、ガードレールに座って休んだほどだ。
その時、頭の中では、数十人の男女の声で私を威嚇する声が聞こえていた。
これで「自分は稲荷とは相性が悪いのだ」と自覚した。
三年前くらいに、うっかり稲荷の神域にそれと知らず立ち入ってしまい、八か月苦しんだことがある。気が付いたら祠の前に出ていたので不可抗力だが、許しては貰えなかったらしい。
最近、「これが理由では」と思い当たることに気付いた。
十年前に心臓の持病で苦しんでいた時に、高麗神社に参拝したが、鳥居のすぐ内側に猫がいた。
その猫は、私を見ると、すぐに立ち上がり、「ついて来て」と言わんばかりに私の前に立ち、神殿まで先導してくれた。
これが神社猫のトラで、それ以来、頻繁にこの神社を訪れ、トラと親しんだ。
この神社は所謂パワースポットのひとつで、境内で撮影する写真には「この世の者ならぬ者」が写る。
時々、ガラス窓に映る自分自身の姿を撮影するようになったのだが、時々、右腕だけが膨れて写る。
もっとも顕著なのが掲示の画像だが、肘の先が猫の頭になっていた。
後になり「きっと亡くなったトラが出てくれたのbだろう」と思ったのだが、よく考えると、トラが死んだのは翌年のことだった。たぶんトラではなく別の猫だ。
最近、家の片付けをしているが、当家には寅の置物が沢山ある。抱き枕も虎だ。
私音ハンドルネームも、必ずtiger※※※となっている。
昔から、何となく虎を身近に置いて来たのだが、猫も虎も同じネコ科で、どうやら猫と馴染んでいるらしい。
ここで「なるほど」と納得した。
猫と狐(稲荷眷属)は、自然界では仲の悪い者同士だ。
狐は猫と縄張り争いをして抗争を繰り広げる。
それなら、稲荷神社と相性が悪いのも頷ける。
だが、この説には不首尾がある。
私の傍に虎がいて、これが神の使いだったとすれば、それは毘沙門天の眷属だ。昔から虎は毘沙門天の化身と言われる。
一方、狐は稲荷の眷属。
しかし毘沙門天と稲荷の関係について「仲が悪い」とは聞いたことが無い。仲が悪いのは、あくまで自然界の猫と狐の話だ。
結論は保留のままだが、とりあえず、毘沙門天も当家の守護天のメンバーに加えることにした。
左が不動明王、右が毘沙門天で、左右揃った。