◎心霊現象の時系列的観察 「幽霊がよく出る・出やすいのはいつ?どんな状況?」
繰り返し述べて来たとおり、人間には「特別な霊能力」というものは存在しない。
霊能力がないのだから、「霊能者」も存在しない。
例えば、自称「霊能者」を五人集めて同じものを見せれば、めいめいが違う答えをする。
要するに、霊感・霊能力は「主観的に構成されている」ものに近い。簡単に言えば、経験とそれに基づく想像や妄想である。
人間は等しく、五感で感じることしか出来ない存在であり、幽霊についても「眼で見て、耳で聞く」以外に認知する方法が無い。
ただし、認知できないことは、それが「存在しない」ことの証明にはならない。
空気は人の眼には見えぬが、「存在しない」と言う者は一人もいない。
以上の事を念頭に置き、「どこまで実証可能か」ということから始めることにする。
このため、神や仏など宗教観には立ち入らない。ただ「実証できるかどうか」という点にのみ着目するものとした。
さて、これまでの検討・検証により、「説明できない人影」が、人間の可視騎よりも少し外にあることが分かって来た。
カメラで撮影した時にだけ、「人影」写ることが多いのだが、そのカメラは人間の眼よりも赤外線側に感知域が広い。肉眼で見る場合と、カメラで撮影する場合での客観的環境条件の違いは、この「赤外線域への反応感度」の違いだけである。
よって、赤外線域との境界が関わっていると考えられるわけだが、人によっては目視する場合もあるようだ。
このことは、1)その人の可視域が広いか、2)「人影」が振り子のように可視域を跨いで振れているか、のいずれかだろう。
この結論は、いまだ出ていないわけだが、実証に向けて、誰の眼にも確認出来る資料の収集に努めて来た。
添付した画像は、十二年前から昨年までの期間において撮影した「うまく合理的説明のつかない」ものである。枚数自体は何百枚もあるが、その中にはあやふやなものが多数含まれているため、その中から確からしいものを抽出した。
なお、今年の分については、一年分がまとまった段階で整理する。
既に紹介済みの画像ばかりなので、個別画像についての詳述は避ける。
「説明のつかない現象(あの世現象)」で主要なものは、「煙玉」と「人影」である。
これらに関する画像を時系列的に並べてみると、幾つか興味深い傾向が見られる。
そのひとつは、「私の体調が著しく悪化する前に、出現頻度が高まった」ということである。とりわけ、心臓病の治療のために入院する数か月前から、「煙玉」や「人影」の出る頻度が高くなっている。
ちなみに、私はそれより前に、一度心停止の経験がある。その頃の画像を比較出来ればよいのだが、若く、仕事に専念していたため、写真撮影自体をほとんどしなかった。
ふたつ目の発見項目は、「煙玉の多くは自然現象である」ということである。
山や森の中、水辺の近く、洞窟やトンネル、空気の出入りの少ない建物の中、等で頻繁に撮影される。ここでは、そのような「明らかに自然現象」と思われるものを除外した。
ただ、「人影」や「体の一部」のように、何故そこに写るのか「説明のつかない現象(あの四現象)」が生じた時にも、頻繁にこれが写っている。
ひとつの見解は、あくまで「付帯的なもの」ではないかということだ。
煙玉自体は「霊そのものではない」が、何かしら「あの世現象」に関連しているものもある。
三つ目は、人影(幽霊)は「心に働き掛ける以外には、基本的に何もしない」ことだ。
おどろおどろしい姿の幽霊が私の周囲に姿を現すこともあるが、だからと言って何が起きるわけでもない。
心の動揺を誘う面はあるが、「こういうことは誰の身にも起きている」と思いなせば、平気になる。
もちろん、ゼロではなく、悪縁が生きた者に何らかの力を及ぼすことはあろうが、そこには「個人的事情が多く関与している」とみられる。
怒りや憎しみといった「悪心」には、それと同じような「悪心」を持つ者が近寄って来る。そのことで、怒りや憎しみが何倍にも増やされ、当人を取り巻く事態が悪化して行く。(続く)