日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎幽霊少女を連れ出しに行く

◎幽霊少女を連れ出しに行く

 先日の画像の幽霊少女は、十五年以上もあの世(幽界)とこの世を行ったり来たりしている。このままでは可哀想なので、連れ出してやることにした。

 当面は私の背後にいる亡者たちの隅に居て貰うが、いずれご供養を施し、どこぞのお寺で拝んで貰おうと思う。

 

 通院の帰りに、神社に参拝し、まず境内の入り口で語り掛けた。

 「俺の手に掴まって、ついて来ると良い。他にも仲間がいる。ただ、しがみつかれると俺も苦しいので、それはやめるように。悪さをしない分には好きなだけそばにいても良い。繰り返しご供養を施すから、気が済んだら執着を解くことだ」

 その後で、社務所の前で二枚ほど撮影した。

 この時、周囲に参拝客はおらず、私一人だけだった。

 陽光がまぶしい時間帯なので、自動フラッシュが光り、ガラス面が暗くなる。

 この時点では何が映っているかは分からない。

 

 帰宅してから、画像を開くと、最初の一枚に身長が150㌢に満たぬ女児(または女性)の姿が写っていた。

 これはほぼすべての人が「人影だ」と認識出来ると思う。

 いつも最初の一枚に異変が写ることが多いのだが、構えるところが無く、幽霊の方も準備が出来ていないからだろうと思う。

 二十秒後に撮影した方では、既に姿が消えていた。

 

 背格好は女児だが、服装は大人かもしれぬ。

 先日の女児は赤い着物姿だったから、その女児とは別の者ということだ。

 いずれにせよ、頼る者が無く心細いので、見える光のところに集まる。

 ほとんどが「助けて下さい」と口にするので、準備が無くあの世に入ったが、それからどうしてよいか分からない状況だと思う。

 繰り返しお焼香をして、語り掛けているうちに、穏やかな心を取り戻して欲しいものだ。

 

 私はまだ生きているのに、既に死者の道案内を始めている。

 死後にはそれが務めになるわけだが、同時に死者がこの世にあふれ出して来ぬように境界を守る「防人」のような立場だと思う。

 

 次第に死者との会話が成り立ち、かつ写るべき時に画像に写るようになって来た。

 程なく、生死の隔てなく交流が出来るようになると思う。

 

追記1)背格好が亡き母にそっくり。もしかすると、現実に母と旅立つ日が近づいたのかもしれん。

追記2)どうみても百四十㌢台より下で、どうやら母ではないようだ。人間としてはサイズが小さすぎる。大きい時もあるが、どういう仕掛けなのかがよく分からない。
私の体の三分の一くらいが消えているが、この女性が重なったことによる。