日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 「死者を慰める」3/11後半 高麗神社

霊界通信 「死者を慰める」3/11後半 高麗神社

 能仁寺を出た後は、これも予定通り、高麗神社に参拝することにした。

 お寺が合う者、神社が合う者と、死者にも様々な者がいる。

 ま、一度でぱっと話が済むことは僅かで、繰り返しご供養を心掛けることになる。

 ご供養の段取りは、前半で示した通りで、同じことをここでも行った。

 これは繰り返しになるので、ここでは省略。

 

 この日気になったのは、私の後ろから来た参拝客の女性だ。

 周囲には他に参拝客がおらず、この女性は独りで来ていた。殆どの人には見えぬと思うが、この女性の右側には女が寄り添っていて、あまり素性が宜しくない者のよう。姿を極力隠そうとしていることで、それが分かる。

 ここで数枚ほど遡って見ると、神殿に昇る階段のところで、この女性のすぐ後ろに女がついていた。

 神殿の前に上がった段階では、この背後の女は消えている。要はこの世の者ではなかった、ということだ。

 まだ朝早いから、一人で神社に参拝に来たのは、願い事があるからで、その背景には苦痛がある。

 その苦しみを感じ取って、幽霊が集まっている。そして、それが余計に苦痛を増す。

 こういう状況になったら、まずは自分を振り返ることが大切だが、ひとは「自分自身の本心」が実は全く分からない。願望や期待、喜怒哀楽がごっちゃになるから、どれが本当の気持ちなのかがよく分からない。そういう時には、自分にまとわりついている者の姿を目にすると、自分自身の状態を理解する手助けになる。「自分自身のあるがままの状態」を受け入れれば、背後の女のようにつきまとう死者が自ら離れて行く。

 幽霊は日常的に、ひとに憑依して来る。これには共感が前提にあるので、「感情のゆれ」もしくは「ぶれ」を矯正すれば、共感自体が成り立たなくなる。除霊浄霊は、自分の手で行うことが出来るし、そうすべきだ。

 

 さて、私の方は、やはり煙(霊気)が周囲に沢山出ていた。

 「何百本の手」は、かなり減ったが、まだ当分、ご供養が必要らしい。これは想定の範囲。

 もっぱら左側に集まっていたようで、今も左の肩がやたら重い。

 

 右側は何ともないのだが、右には着物姿の女性が立っていた。

 九枚目の画像で、直感の勝った人であれば、「人影が立っている」と感じると思う。

 あの世の者は「感情」で出来ており、「意識」の存在なので、かたちはあまり重要ではない。

 私は右側の肩甲骨の下あたりを触られているので、実感として「そこにいた」と理解出来る。

 今回、かなり幽霊の数が多かったので、私が巻き込まれてしまわぬように、手助けしてくれたようだ。

 いつも記す通り、あの世には無条件でひとを助けてくれる存在、すなわち一般に言う「守護霊」のような者はいない。それは「あって欲しい」という願いから生まれたものだ。

 一方、仲間のような者はいるから、きちんと敬い、協力関係を保つことが大切だ。

 私が難局に陥る時、見るに見かねてか、いつもこの巫女さまが手助けしてくれている。

 

 前半において、震災津波で亡くなられた人たちのご供養について触れたが、今年必要なご供養は次の手順で行う。

 これはお盆の時と全く同じで良い。

 金属バケツや七輪持参で海岸に行き、迎え火を焚く。

 不慮の事故で亡くなった者は、自分が死んだことを理解していない場合があるから、「あなたはもう亡くなっているのです。まずはそれを受け入れて下さい」と語り掛ける。

 心を慰めるために、仏壇の前で生前の思い出を語る。

 これを三日間続ける。

 三日後に再び海岸に行き、送り火を焚く。

 一般人が自分で行うご供養には、お経は必要なし。普段の言葉で、そこに相手がいると思って語り掛けること。

 なお、海辺で火を焚いたら、その灰を持ち帰り、畑や鉢植えの肥料とすること。海辺に放置したら逆効果になるので、念のため。

 また、送り火・迎え火を焚く時には、少し陸側に離れて立つこと。海辺には様々な者がいるので、帰路に故人ではない別の者を連れ帰らぬように、火が消えるまでは水辺から少し離れていること。

 私は七年前くらいに三陸を訪れたが、帰路カーナビが作動しなくなり、防波堤の先に「直進してください」と指示されたことがある。別の者が車に乗った。

令和元年九月十二日。老人の幽霊に寄り憑かれた時に「巫女さま」が現れた。