日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎目視でも分かる

目視でも分かる
 腕が半透明になったのは、そこに「光を屈折させる存在がいたから」ということだ。
 神殿の前は、いわゆる「通り道」になっており、時計回りに幽霊たちが回っている。この流れに沿って参拝する分には、何も問題が生じぬが、遮ったり逆らったりして刺激すると、幽霊たちが腹を立てることがある。

 私の前には「女」がいるのだが、これは目視でも見える人が結構いると思う。私の場合は「見える」というより、「聞こえる」と言った方が正確だ。
 「女」の心は後悔や哀しみで一杯で、それに気付いた邪な幽霊が沢山寄り憑いている。少なくとも四体が「女」に関わろうとしている。
 すぐ傍に黒玉があるのだが、こっちはもはや悪意の塊で、人間らしい心が無くなっている。

 「女」の姿は実体化しているから、これが見える人は割合いる。私やこれを見た人には影響はない。
 (たまに、画像の中の幽霊の視線が見る側に向いている場合があり、見るだけでも影響が生じることがある。)

 

追記)女性は六十歳くらい。病気で死んだ。晩年は不幸続きで、親と夫が続けて亡くなり、自分自身もそれから一年後くらいに亡くなった。失意を抱えたまま亡くなり、今のその中にいる。

 遺族が繰り返し呼び掛けて慰めると、状況が改善されるのだが、ご供養してくれる家族はいない。

 黒玉のほうはアモン級のバケモノで、女性の失意を食べようとしている。

 ちなみに、周りは幽霊だらけ。

 柱の陰にはこっそり私を見ている者がいる。私の首に眼が出ているので、最近、良からぬことを囁くのがコイツだと分かった。

 

追記2)私にはこう見えている。画像自体は朧気だが、その時の体感症状と重ねると、容易に推測がつく。これはあくまで推測だ。
 こういう判断は他者が理解してくれる必要はなく、自分について気を付けることが重要だ。

 二枚目は老女が神殿の前で向き直ったところ。

 神社では参拝客が、一様に同じ動き方をし、御神体に向かって念を送るので、「気」の流れみたいなものが出来る。

 この神社では、神殿の後ろの少し上空に「穴(交流点)」があるのだが、そこに行き着けば、あの世に入れる。「穴」は当方から見た心象なのだが、一般的には「三途の川」の方が通りが良い。

 死ぬと外界が「見たいように見える」。生きている時には「環境の中に自分がいる」のだが、死ぬと「環境を自分が作る」局面に替わる。

 苦痛から逃れるためには執着を解く必要があるが、ひとにとって「執着」は「生きる」ことの大半を占めている。内省を心掛け、自分自身の本心がどこにあるかを知る必要がありそうだ。

 私はこういうのを引き付けるようで、火曜は終日腰(右の股関節)が痛かった。私ではなくこの女の持病だと思う。