日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎まだ神無月じゃないのにこれ

まだ神無月じゃないのにこれ
 身の回りが騒がしく感じるが、「もはや御一行様の状態」だと思うので、トラの神社に行くことにした。
 前回訪れた時に、「トラは死んでもあの神社に居る」と分かったので、恋しくなったこともある。
 また、令和元年の日帰り温泉にいた老人がまだ成仏できずにこの世に留まっていると感じたので、このご供養もある。

 駐車場に車を停めると、昔のことが蘇る。
 もう八年は前のことだが、初めて神社を訪れた時に、入り口にいた猫が神殿まで道案内をしてくれた。それがトラだ。
 それから令和元年までトラがこの世を去るまで交流が続き、気が付けば私は普通に歩けるようになっていた。
 最初の日などは、平地を五十㍍を歩くのに、三度求刑したほどだった。私がいま生きていられるのは、猫のトラと、その背後の白衣観音、そしてこの神社の神さまのおかげだ。

 神殿に上がると、私の前には男性が一人だけで、他に参拝客はいなかった。
 従前の通り、ガラスの前に立つと、背後に「御一行様」の気配を感じたが、やはり思った通りだった。
 目視で女性の姿が見えるから、ひとつ二つは実体化した姿が写るだろうと思ったが、車に戻り画像を開いてみると、やはり気配の通りだった。
 見慣れぬ人には分りにくいはずだが、幾つかはきちんと人影になっている。感度の鋭敏なひとには、女性の姿が見えると思う。
 私については、自分のことなので、気配だけでそれがどういう者なのか分かるようになった。
 今回のムカデ行列は十人(体)くらいまでは認識出来る。

 所沢の病院に行った時の「足の重さ」がこれで納得出来た。
 「傍に居ても構わんし、きちんとご供養もしてやる。だが、私の体に手は掛けるな。これは必ず守ること」
 さもないと、ご供養してはやらんぞ。

 私は「別にフツー」の状態なのだが、たまたま被写体になった男性に目が行った。
 よく見ると分かる筈だが、男性は両手で紙を持っている。右手の方は直接写ってはいないが、ガラス窓に写っているから腰のあたりにあるのが分かる。
 だが、男性の頭の周りには、左右の腕が絡みつき、ちょうど頭を抱くような姿勢になっている。
 顔が見えぬが「女」(の幽霊)だと思う。
 これも時々あるが、この男性に直接「一体何があればこうなるのか」と訊いてみたい。何故にこの女に執着されているのか。
 具体的に関わりのある女性だったのか?
 あるいは、男性の心情に共感・共振して女が寄り憑いたのか。

 幽霊は「心だけの存在」だから、殆どの場合はこころ持ちに影響を与えるだけだ。ホラー映画みたいなことは滅多に起きぬが、その逆にこんな風に「寄り憑かれる」ことは「誰の身にも」「日常的に起きている」。

 例年、ガラス窓に姿を映した時に、高確率で「そこにはいない筈の人影」を撮影出来る時期は、ちょうど神無月の頃だ。
 まだ、神無月ではないのに、今年はもう始まっている。

 何故か「ピンボケになりがち」なのもこの手の画像で良く起きる傾向だ。顔認識が働いたのは、最初の画像だけで、二枚目からはほぼピンボケでぼやけてしまった。

 今年も十月桜が咲き始め、私も生きてこれを見ることが出来た。色々としんどいことばかりだが、もう一度気を取り直してやり直そうと思う。
 さすがトラは「あの世の恋人」で、息遣いを感じただけで、気持ちが前向きになった。

 画像が不鮮明で「殆どの人が認識出来ない」と思い、無頓着に画像を上げるが、来六巻の長けた人にはかなり気持ち悪い幽霊を含んでいる。体調が優れなくなった場合には、症状を伺った上で対処法を教えます。