日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 悲喜交々 3/12「デマゴーグ噴出」

病棟日誌 悲喜交々 3/12デマゴーグ噴出」
 病棟では退屈なので、最近はネットサーフィンで過ごす。
 ネット界では、メディア以上にデマを撒き散らす者が多い。
 パターンはいつも同じ。
 最近増えているのは、「生活保護叩き」。
 大体の話はこう。
 「夫婦と子供二人で生活保護を受け、月に五十万円貰っている者がいる。おまけに医療費がただ。働いているものより楽に暮らしている。おかしい」
 だが、よく聴いてみると、具体的な話がまるで出て来ない。
 叫んでいるのは、「生活保護」「五十万円」だけ。
 あれあれ。実態を調べて言っているのか?
 「生活保護」は「世帯十万円前後」が基準で、子ども分の割り増しがあったにせよ、「四人で五十万円」にはならない。もし受給額が事実なら、「生活保護以外の手当」があるということだ。
 子どもに障害があるとか、別の理由だ。
 だが、それはあくまで「別の理由」で、「生活保護」ではない。全然別の視角のものを一緒くたに言っている。
 要は「生活保護受給者」=「働いていない者」、実際には「働いて(も)いない者」というフレームで眺めているということ。
 前提から差別的な匂いがプンプンする。

 じゃあ、「世帯で五十万貰っているという者は全国で幾世帯あるんだよ?」。

 そういうのを調べてから言ってるのか? ま、調べちゃいない。
 実際に、病気になり失業したことなどで、生活保護を申請しようとしても、基準があり、なかなか受給には至らない。
 ローンが幾ら残っていようと、自宅を所有していれば認められない。
 車を持っていると、「余裕がある」と見なされるので、これも不可。一定の資産があれば、生活保護の対象にはならない。
 さらに「働けぬ事情」が必要だ。賃貸に住む世帯のお父さんが急病で働けぬようになると、ひと月ふた月後に子どもたちは生死を分かつ危機が来る。
 「月に五十万」はそんな危機的状況の積み重ねから出来ている。ま、この話自体、本当かどうかは分らない。
 また、仮に事実として確認出来たとしても、レアなケースであることは確かで、これが一件二件の話なら、制度自体を云々言う話ではない。
 実際には何件発生しており・・・、という件(くだり)がまったく無く、「生活保護が五十万貰うのはおかしい」だけを連呼する。
 ここで、はっはあん。メディア報道を観たレベルでものを言っているのだと察しが付く。自分で実態を調べちゃいない。
 時々テレビが扱うのは、「生活保護受給者がパチンコにそれを使う」みたいな話だ。耳目を集めるために奇異な話をあげつらうわけだが、ほぼネガティヴキャンペーンと同じ。
 そこには、「行政(国)が与えてやってるのに」という認識の流れがある。要は「働いてもいないヤツが俺たちが働いて払った税金をパチンコに浪費している」という見方だ。
 発想の出発点が「自分たちは払っている」が「こいつらは働かずに貰っている」というものだ。それなら俺たちは損をしている、という流れになる。
 セーフティネットはそもそもそういう考え方ではなく、「誰もが危機に直面するかもしれぬから、お互い様で助け合おう」という視角によっている。
 自分も「急病で働けぬ境遇」になるかもしれない。なら、今は他者を助けて、自分にそれが来た時も助けてもらう。そういう発想だ。
 今は元気で問題なく働けていても、年は取るし病気にもなる。誰もが必ず弱者の立場に置かれ死んで行く。

 この視点では「一定の基準を設けて、それに適合したら手を差し伸べる」やり方が簡便だ。個別のケースを詳細に吟味するのは専門機関(行政)で、その基準に達したら保護を与える。だから今の制度がある。

 以下は例え話。
 生命保険では「死亡時に遺族に保険金が支払われる」。
 これは、どういう状況でも「加入者が死亡した」という条件を満たした時だ。これには、掛け金を「何年払った」かは関係がない。死んだかどうか。
 この決まりに対し、「俺は二十年間掛け金を払っているのに、世間には、加入後一年で保険金を貰っている者がいる。掛け金を払った金額が違うのだからおかしい」と言っても、ほとんど意味がない。生命保険の基盤は、「働き手が亡くなった時に、家族などが直ちに路頭に迷わぬように支える」という視角によるもので、基準は「死んだかどうか」ということ。
 そもそも、「おかしい」と叫ぶ者は、「加入者が死んでいる」事実を無視している。
 冒頭の「生活保護世帯で五十万貰っているのはおかしい」という主張はこれに近い。 

 生活保護受給世帯の大半はその金額を貰っていないし、それ以前に事情(困難)がある。これは一律の眺め方をすることが出来ず、個別のケースを見る必要がある。

 「NHKはおかしい」と叫ぶだけで、国会議員になった者がいるから、国民の一部に蔓延する「何となく不満」と言う気分を助長することで「ネット受け」を取りに走る者が増えた。
 だがよく観察すると、制度自体をよく知らないで言っていたり、具体的なケースについて全く言及しない。要はメディア情報レベルでものを言っている偽物ということ。

 こういうのは、「回転すし店で醤油差しを舐めて見せる者」と大差がない。

 「生活保護叩き」と同じくらい、「透析患者叩き」も起きている(身近な話だ)。
 今日観たのは、「透析患者は月に三十万の医療費を使う。それでいて二百万から三百万の年金を貰えるのはおかしい」みたいな話だった。
 よく言われるが、「月に三十万」は医療費総額だ。何故透析患者の時だけ医療費総額で言うのか。風邪を引いて病院に行けば、自己負担額は五千円くらいだが、総医療費はその10/3だ。ざっと一万六千円くらい。
 盲腸の手術を受ければ、窓口で払うのは十数万だが、総医療費は百万円だ。抗がん剤の一部は一回二千万から三千万のものがあるがこれも医療保険適用対象なので高額医療費補助の対象となる。窓口では概ね十五万くらいか。薬一回で透析治療の七八年分だ。

 「癌患者は大半が再発する。それなら治療が無駄だから保険適用を見直すべきだ」

 こういう理屈と大差ない。
 人工透析に入ってから死ぬまでの期間は医療統計で眺めるよりかなり短期で、高齢期にそうなった患者ならアベレージは数か月から半年だ。また、癌や心臓病などで死ななければ、いずれ多くの者がここを経由して死ぬ。要は皆が必ず通る「死に至る道」のひとつ。
 統計に出ぬのは、「主たる死因」が心臓など別の病因に選り分けられることが多いからで、この場合、表には出ない。最初から腎臓(だけ)が悪い患者なら、透析開始後十年二十年生きるかもしれん。腎不全に伴い動脈硬化が進むことで心不全で死ねば死因は「心疾患」になる。これで統計上の平均余命が長くなる。


 私自身が腎不全になり、一時は「月に三十万の医療費を使う立場になり申し訳ない」と思っていた時期があったが、調べてみると、「死ぬまでの医療費」であれば、他の病気と大差がなかった。
 毎月の自己負担レベルで言えば、総医療費の3割だから9万だが、このうち1割は患者が実際に払っている(市区町村により、これも申告すれば補助が出る場合がある)。 

 要は「月に6万円」が「病院代」の「普通の人より余分に国に払って貰うサイズ」になるが、これは「何かしら持病のある者」の払う医療費より少し多いくらい。
 腎不全になる前、四十台の頃にもひと月に3万円くらいの「病院代」は払っていた。これは心臓に持病があったからだが、高齢者になればこれくらいはざらにいる。

 三十台四十台の未病の者から見れば、どれを見ても「医療費がやたら多い」と感じるわけだが、「オメーもいずれ必ずそうなる」。

 自己負担月三万円は医療費総額なら十万円の規模だ。三十万が確かに多いのは事実だが「不当」と騒ぐぐほどではない。何故なら透析患者になってからの生存期間(余命)がやたら短い。日に30人が治療を受ける病棟では、一年経つと患者の顔ぶれがガラッと変わる。大半が前年のうちにこの世とおさらばしているということ。

 となると、「透析患者は月に三十万の医療費を使う。それでいて二百万から三百万の年金を貰えるのはおかしい」は、それこそ失笑レベルだ。
 医療費と年金は関係がないし、そもそも年金で二百万円貰える個人は少ない。厚生年金で十三万くらい、国民年金は六万弱。
 世帯で眺めると、夫婦の状況(共稼ぎや配偶者が主婦・夫)によって異なる。資産状況にもより、資産を持っていれば年金支給額を減らされる。 「夫が勤め人で、奥さんがぎりぎりパート」なら世帯二人分で年金を月二十万円ちょっと貰えるかもしれぬが、前段の視角が個人なので、論理が成り立たない。それに「それでいて」とは、障害者には年金を与えるなってことなのか? オメー、気は確かなの?

 (ちなみに余談だが、裏金を得ている政治家には年金は必要ないと思う。政治資金で申告しないなら脱税だし、過去年次分は修正がきかないぞ。一般人なら重加算税が課せられる。)

 要は、ただの聞きかじりでものを言っているということ。医療費のことも年金のこともほとんど調べずに言っている。無知丸出し。
 (ここはリポートでなく記憶で記しているので、金額は大雑把だが、前に丁寧に調べたので大きくは外れてはいないと思う。)

 要は若者を中心とする「何となく不安・不満」を持つ層にウケるためのデマを撒いているということだ。ま、誰かを敵対視する時には、よく調べると言えなくなるから、まったく調べずに言っている。
 たぶん、次の選挙にでも出たいのだろう。
 でも、さすがにもう少し勉強してから言え。
 それに、先にNHKをどうにかしろ。

 

 ちなみに、治療が終わり食堂に行くと、見知らぬ患者ばかりだった。

 春先は顔ぶれがガラッと変わる。

 腎不全(透析)患者は、一年に三十万人くらいの規模だが、多くがその年のうちにこの世を去る(心不全や肺疾患で)。ここはストックではなくフローだ。

 こういうのは、実際に病棟に入ってみぬと見えて来ない。ここは人生の終りのひと刹那を過ごす場所ということだ。

 「ひと月に三十万」の医療費でも、それを必要とするのが四か月。要は百二十万がここに来てから死ぬまでの医療費だ。これは盲腸の手術一回分だ。

 ある腎臓医が「人工透析患者の医療費が特に高いわけではないですよ」と言っていたが、中期スパンで観れば、癌患者よりも安いかもしれん。

 「ひと月に三十万」だけを切り取ると高そうに見えるわけだが、これもひと刹那の視角だ。実態を知ると、そら恐ろしい。

 毎年、病棟の患者が一掃される。

 

追記)当たり前のことだが、やり方を変えるだけで医療費はかなり削減できる。既に始まっているが、病院間で情報を共有するだけで、「病院ごとに検査を受ける」手間が省ける。

 複数の病院に通う者からすると、病院ごとに同じ検査を受けるのは不合理だと思う。CTなどは数日違いならほとんど判断が変わらない。

 透析患者に限って言えば、欧米で認可されている「ポータブル透析機」を認可すれば、患者が自分で機器のセットが出来るから、たぶん、医療費は半減させられる。

 自分で医療行為に踏み込むので、そこにはミスが起きる可能性が生じるわけだが、それくらいは自己責任の範囲だと思う。足の血管を利用するようにすれば、なおやりやすい。合理化を試みるだけで費用は大幅に圧縮させられる。

 当事者的には、拘束される時間を増やすより、期間は短かくなっても、自由に使える時間が増える方が有難い。

 

 こんなことより、一年間に一分も視聴しないNHKに料金を請求される方がもっと理不尽だ。もはやテレビが国民が情報を入手する基盤だった時代は過去の話になっている。

 我が家では、ほとんどテレビが使われない。画面は真っ暗のまま。

 放送法を改正してNHKを純然たる民間会社に変える方が優先事項だと思う。生活保護世帯の多くは、医療費がタダでもNHK料金は請求される。家族に一人でも所得税を払っている者がいればNHKは完全免除にならない。要は税金よりも取り立てが厳しいということ。