日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎検査技師の従妹によると

◎検査技師の従妹によると
 3月17日は母の一周忌です。
 従妹が母の焼香に来たので、日頃の疑問を訊ねてみました。
 「血圧が130を超えたら高血圧ってのはウソッパチだよな。不当表示に近いんじゃないのか」
 従妹は「130で高血圧なら、大半の人は当てはまる」とゲラゲラ笑いました。
 「国と製薬会社は結託してるからね。というより、役所は病院や製薬会社のチェックが出来ないもの」

 もし、常時、上が120台なら「ほぼ貧血」に近い。
 血圧は1日のうちに上下するため、朝は140、150でも当たり前だし、動いていれば下がる。「運動をしろ」というのは血圧が下がるから。
 患者や医療従事者は分かっているが、比較的健康と言える「未病」者は血圧なんか測りません。
 そういう相手に「130を超えたら高血圧」と「吹く」のは詐欺と同じ。130台では「普通」で、さしたる病気が無ければ、140でも問題ありません。
 心臓病の患者なら、「なるべく130台」で、と言われる可能性がありますが、未病者なら問題なし。

 2つ目は、診療費や薬代が「地域によって、病院によって違うこと」。
 その答えは、「申告する点数が違うから」らしい。
 同様な診療行為でも、医師は給料に直結するから、なるべく点数を高く付ける。
 病院を替えることはありますが、別の都道府県にまたぐことはあまりないので、露見しません。

 3つ目は「病院によってはタカリに近い診療をすること」。
 私が日頃通院している病院では、その都度ベッドまで医師が来て、「変わりありませんか」とひと言声を掛けて行きます。
 このひと言はもちろん有料で、700円から1500円の自己負担になります。すなわち、患者(障碍者)は1割負担なので、ひと言が1万円です。病棟をひと回りするだけで、数十万のアガリになるわけです。

 しかし、患者の方は「不平や疑問を言うとトラブルになる」と思い、何も言いません。トラブルになると、医師に殺される恐れがあるので、余計に言えません。
 ちなみに、心臓の治療の影響で、今は私も透析患者です。
 透析医療は高額だと言われるけれど、「タカリ」を減らせば半分以下に出来ます。欧米のように、ポータブル型の自宅透析機を認可すれば、おそらく1/3以下に医療費が下がります。
 しかし、日本ではなぜかなかなか認可されません。タイでも使っているのに、なぜ日本で出来ないのか?
 答えは簡単で、「固いアガリが消えてしまう」から。

 患者が病院に来なければ、商売になりません。
 こういうのを元アナウンサーのハセガワみたいなバカは「患者のせい」にします。無知ほど恐ろしいものは無し。
 人工透析患者で糖尿病のリ病歴がある患者は40%ですが、それが原因でなったとは言い切れません。
 そもそも遺伝的要素がなければなかなか発病しません。
 私のように糖尿病の病歴が短いのに、リ病歴が少しでもかかると、それが原因であるかのように書かれてしまいます。
 ご丁寧にも「生活習慣病」みたいな名称をつけてあるので、ハセガワ氏のようにまったく調べずに「不摂生が原因で病気になった」みたいな、いい加減なことを言う輩も出て来ます。

 ま、そもそも、がん患者の抗がん剤治療はひと月に3百万の医療費で、盲腸の手術をすれば1件百万以上です。
 どれも大して違いはありません。
 テレビには、「十数年透析を受けている」という患者が出ますが、透析患者の余命は4、5年です。
余命が長い人は、腎炎など腎臓だけが悪い患者だけで、多くが他の病気の影響(薬剤含む)で腎臓を壊した人です。
 別の某気を持つ人はかなり短いです。
 二層に分かれているので、平均は余命十年くらいになるわけですが、「平均」があまり当てにならないケースと言えます。
 実際、3年前には、今の病棟で私は古いほうから二十何番目でしたが、今は3、4番目。先輩の多くは透析中に救急搬送され、その後、戻って来ません。想像つきますね。

 転院を決めたら、証拠を上げて追及しますが、今言うと、医師に「あなたは治療を止める権利があります」と言われるだけでなく、ちょこっと機器の設定を下げられてしまう可能性があります。
 ほんの数秒の操作で、患者は「あの世行き」になってしまいます。

 「医療の分野は叩けばナンボでも埃が出るが、一般の人はほとんど知らない」で話が一致しました。
 私には医師が「心臓の造影剤の影響で腎臓の機能が損なわれます」と説明したので、それを了承したのです。もちろん、選択の余地はありません。やらねば死ぬしかありません。
 しかし、後で診断書を見たら、「糖尿病の影響」で腎不全になった、と書いてありました。
 よく考えると、「薬剤の影響」だと「訴えられる」可能性があるわけです。
 医師が言わないこと、書かないことは沢山あります。

 「生活習慣病」はそもそも生活習慣が原因で起きるのではなく、「加速させる」「増やす」という相関関係なのですが、医師でも統計の解釈を分かっていない人が結構います。

 ちなみに、最近の某公立病院の診療中止について。
 44歳の患者なら、他の病気の状況にもよりますが、透析をすると数十年生きられます。
 その人が「中止」を考えるのは、「心が弱っているから」。
 透析患者は、常に「自分みたいな人間が生きていてはいけないのではないか」と自分自身を責めます。
 時々、「早く死にたい」とも思います。
 治療自体が苦痛を伴うので、透析患者は皆同じことを考えます。
 「自分なんか、死んだほうが良いのでは」
 そういう時に、医師のすべきことは「患者の弱っている心をケアすること」で、そのまま「中止する」ことではないです。
 すなわち、医療過誤どころではないですね。自殺幇助に近い。
 次のたとえ話で、そのことは明確です。

 「膵臓にがんが出来ると、5年後の生存率は5%以下です。そうなると、その間の治療が無駄になりますし、苦痛を引き延ばすことになります。そこで、あなたには治療を止める権利がありますが、どうしますか?」
 かの院長と医師の話はこれと同じ意味ですが、こんなことを言う医師はいません。
 要するに、その病院の医師や院長は確信犯で、けして「過誤」ではないと思われます。
 専門バカの極みで、神経がおかしくなっているか、あるいは保身のために強弁しているのです。
 ま、自分の瑕疵を知っているだけに、「訴えられないように強弁している」というのが真相でしょう。

 さらに、ネットなどを見ると、患者さんが亡くなる前日に「中止を止めたい(再開したい)」と言っていたことに、この症状について何も知らない人が「再開しても効果がなかっただろう」とか言っています。
 これは憶測にもなっていないです。
 患者は単純にクレアチニンカリウムの影響で具合が悪くなっているので、これを除去すれば治ります。
 たぶん、亡くなる当日でも回復できた可能性が高いです。

 心筋梗塞脳梗塞の患者は、すぐに施術しないと死んでしまいます。その患者に「治療しない権利」を説明することほど、おかしなことはありません。
 医療費が高ければ、「どうすれば下げられるか」を考えるのが先です。「死ぬ権利を認めること」や「患者を殺す」ことは何の解決にはなりません。
 足の不自由な人に「車椅子なしで歩けないなら、一人では生きられないから、あなたは終末期」と言う人はいません。

 既に欧米では、「人口透析患者」は、ただの「機能不全」と見なされる傾向にあります。
 「松葉杖」や「車椅子」と同じ、という解釈です。
 日本では、透析医療が十年単位で遅れているばかりか、患者に「生か死か」の究極の選択を求めているわけです。
 「殺す」前に、「どうすれば生きられるか」「どうすれば費用を下げられるか」でしょうに。

 もう一度、例えを書きます。
 「がん患者の多くはいずれ再発します。それなら、治療は無駄になるし、苦痛を引き延ばすだけになる。患者には、治療を受けない権利があります。治療を止めてはどうですか」
 抗がん剤治療は、ひと月あたり百万から3百万超の公的医療費がかかるんですよ。
 透析患者の一年分であるだけでなく、患者数の桁が違います。