日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎一周忌で

◎一周忌で
 あっという間に母の一周忌が来て、連日、親族が焼香に訪れます。
 そこで、親族に「どうやら母も冥土に旅立ったらしい」と報告しました。
 最近は一切隠さなくなったので、私の「あの世」話を誰もが真剣に聞きます。一度でも画像を見てしまえば、それも当たり前ですが、「なぜそうなのか」という説明を聞く顔が強張っていました。

 親戚が帰り、部屋に独りでいると、ふっと母の匂いがしました。
 懐かしく思い、仏壇の写真を撮ったのですが、母らしき人影が写っていました。(母だけにこれは人前には晒せません。)
 「安らかに冥土に向かってください」と念じ、背中を向けると、母とはまったく別のザワザワ感を覚えます。

 そこで振り返って、また撮影したのですが、今度は別のが写っていました。
 私の撮る画像に時々紛れ込む女性ですが、最初は舟田橋(確か)で写ったと思います。
 私が帰って来たので寄ったのか、ずっと傍にいるのかは分かりませんが、外国人なので同じ女性と判別がつきます。
 たぶん、後者ではないかと思います。いつも一緒にいる。

 こちらはブログに記録するかどうか思案中です。
 好奇心で見る人が多いでしょうから、そういう目に晒すのはどうかと思うわけです。
 それに、やはり慣れていないと、少し怖いと感じる人が多い。
 この手のには慣れている私でも、何となく「寄られている」と思った瞬間に、実際に「寄られている」となると、ざわざわします。
 ま、「気のせい」と言い逃れの出来る優しいほうを選別すればどうにか。

 「思った通りのことが起きる」のは、もはや7段階くらいまで達したことを意味すると思いますが、もうこの辺で先に進まなくて良いような気がします。
 今でも十分にプライバシーが無くなっているので(脇に立たれるので)、これ以上、煩いと休むことが出来ません。

 なお、仏壇の近くに「窓」が開いていたのですが、私が「呼び水」になっているのではないかと思います。
 これもいつも通りです。
 これを書いている間にも、廊下を歩く足音がしているのですが、それが母なら何ともありません。むしろ暖かい気持ちになります。
 ざわざわするのは、それが母ではないから、ということです。