日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎母が去る

◎母が去る
 法要のために実家を訪れたのですが、着いた当日は家じゅうがガタピシと音を立てました。深夜にはトントンと廊下を歩く足音が聞こえます。
 「暫くの間お焼香に来なかったから、お袋が怒っているのかもしれん」
 翌朝、息子にそれとなく「よく眠れたか」と訊くと、「眠れなかった」との返事でした。

 法要を済ませ、息子は帰宅しましたが、父親の方は1週間ほど滞在する予定です。週末に用事があるし、周囲に誰もいない環境は原稿を書くのに適しています。
 それから3日経ちましたが、1年間、ずっと感じていた「母の気配」が、突然無くなりました。
 深夜になっても、物音ひとつしません。

 叔母に会った時にこの話をしました。
 「母は冥土に旅立ったかもしれません。気配が無くなりました」
 私は「霊界」(世間で言うのとは少し違う)と呼んでいますが、ここに向かうのは「成仏」と同じ意味で、自我そのものが寛解してしまいます。
 叔母は「もう一年が経ったから、そうかもしれないね」と言いました。

 一周忌を経て、母の遺品を親戚に分けました。
 これからは、母の思い出の品が次第に少なくなって行きます。
 母との二度目の別れの時が来ているのです。
 でも、もちろん、思い出が消え去ることはありません。

 母の気配は無くなったのですが、「気」は残っているようで、夜中に4回もトイレに行かされます。
 普段は日に1回ですので、これも母の名残だろうと思います。