日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎すぐにご供養に行った(483)

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3月4日撮影

◎すぐにご供養に行った(483)

 3日にN湖を訪れたのだが、久々に「気配」が見えていた。

 その後で神社に参拝したが、そこでは画像に人影らしきものが残っていた。

 曇天だったから、不鮮明なのだが、何百回も行けば、小さな異変でもすぐに分かる。

 いずれも女性二人だった。

 帰宅して、その日の深夜になると、玄関のドアが音を立てた。

 朝方になり気付いたことは、その二体を「家に連れ帰ったのではないか」ということだ。

 私のことは先方からよく見えるらしいから、N湖で私という存在を見付け、ついて来た可能性がある。ま、この手のことは頻繁に起きる。

 ずっと薄暗がりのようなところにいるわけだし、誰かが近くにくれば縋り付きたくなるものだ。

 用件は、もちろん、「助けて欲しい」というものだ。これは現実に声で聞こえることもある。

 

 そこで、執筆中途の原稿をそこで諦め、出掛けることにした。

 やはり最初はN湖からで、誰もいない湖岸でお焼香をした。

 そこで、ひとしきり母の思い出話をした。

 どれだけ母が私を愛してくれたか、その体験談を声に出して話したのだ。

 これが私にとってのお経でありご法話になる。

 母親が息子にどれほど愛情を注いでいるかを伝え、同じように自身を愛してくれた家族のことを思い出せば、執着心を解きほぐすきっかけになるかもしれぬ。

 そう考え、お線香が消えるまでの間、そこに相手がいるかのように話をした。

 ま、一度で結果に結び付くほど簡単ではないから、この後も繰り返しご供養をすることになる。

 

 それから、いつもの神社に向かった。

 今度は私自身の状態を知るためだ。

 神殿の窓に映る私の姿には、さしたる問題は無いように見えるが、しかし、周囲の気配は乱れているようだ。これは今の世情とも関係していたりするから、今は何とも言えない。

 かたや、私を試そうとする意志も感じる。自分で考えているより、番付表の上の方にいるらしく、次第に関脇大関クラスが出て来るようになっている。

 

 異変に気付いたら、すぐに対応するように心掛けると、早い段階で問題が小さくなる。驚いたり、恐れたりする時間があるのなら、ささっとご供養をすればよいだけの話だ。

 若いうちは「年寄り」たちが、自分とは違う存在のように思えるわけだが、意外に自身が「年寄り」になる時期は早くやって来る。

 幽界の住人たちは、自分とは縁のない存在だと思うから恐ろしく思えるわけだが、いずれ自分自身も仲間になるのだと見なせば、それほど恐ろしく感じなくなる。

 あっという間に自身が齢を取るのと同じように、人生の終わりは簡単に来て、「ふと気が付いたら幽霊になっている」時が来る。

 「いずれ遠からず、自分も幽霊になる」と見なし、幾らかは心構えをして置く必要がある。

 

 今日のご供養が上手く行ったかどうかは、程なく分かる。概ね最短で今日の午前3時頃だ。あるいは数日後になり、初めて状況が分かることもある。

 こういうことが無ければ、煩わされることも少なく、平穏で平穏な日々を送れたと思う。時々、「俺はいつ眠ればいいのか」「何時自分の人生に専念出来るのか」と文句を言いたくなる。

 もちろん、「この世」でも「あの世」でもタダのものは無いから、ご供養をしたら「どこからか三日分の余命を持ってこい」と言うことにしている。

 最近はたて続けだから、今後は少し値上げをして「1週間」にしようと思う。

 三時間と続けて眠れる日は無いので、さすがに疲れる。