日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎もの凄く気配が悪い(515)

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令和二年七月十七日撮影

◎もの凄く気配が悪い(515)

 17日は改めてN湖までご供養に行くことにした。

 お焼香をし、「俺が死んだら、必ずお前を引き上げてやるので、今は生きている者に寄り付いたりするな。大半の者は準備が出来ていない」と伝えた。

 ま、それが自分本来の務めのような気がする。

 相変わらず気配が悪く、どんどん外に出て来ている感じがある。姿が鮮明でなく、気配だけが迫って来るのは、あまり良い状況ではない。

 

 例えば、あの世の者が寄り付くと、こんな風に囁く。

 「もう一軒寄ったって、さほど違いはない」

 「俺は若いから、きっと大したことにはならない」

 「ずっと我慢して来たのだから、ストレスを吐き出さないと毎日が面白くない」

 いつの間にか一線を越えているが、そんな風に考えるのは自分自身ではない。

 

 ほとんどの人は感じ取れないだろうが、最初の画像では、もはやすぐ目の前に立っている。私はその場にいたので、まともに圧力を受けた。

 例え妖怪のような姿でも、どのような相手かが分かる時には、対処法を探せる。

 その相手を見つけてしまえば、自身と相手の間に線を引き区別することが可能になるので、その者を取り込んだりはしなくなる。

 だが、今は姿かたちがよく見えない。

 

 帰路は神社に参拝した。下ろせる者はここで下ろしていく必要がある。

 ここでも視覚的に捉えるのは難しい状況だ。となると、普段の通行霊ではなく、私が連れて来た者だということになる。

 「執着を捨て、流れに身を委ねるといいよ」

 これで少し心が軽くなる。

 

 ここで、ふと思いついた。

 「よくあの世の住人が立っているのは、内門の柱の陰だ。そこから撮影したら、その者たちが何を見ているのかが分かるかもしれない」

 そこで最後にその位置に立ち、内側を撮影してみた。

 なるほど。「門の外」にいる方が「気の流れ」が良く分かる。

 もしあの世(幽界)の所在を確かめたかったら、この位置から自分自身を撮影してみると、「何か」が存在を示してくれるかもしれない。

 もちろん、最初はショックを受けるから、好奇心ではなく、心底知りたい人だけが試みることだ。遊び半分で立ち入ると、それなりの応報がある。

 

 依然として、状況は良くない。
 これは私だけのことではないので、よくよく警戒し、周囲に注意を払うことが必要だ。

 もちろん、自身の行いを顧みて、自分本来の心や意思に従っているかどうかをよく考える必要がある。

 「もしかすると生死の境目がすぐ間近にあるかもしれない」ことを頭に置くべきだ。

 それがあれば、死後に迷わずとも済む。

 

 5枚目の画像で「女性の右眼」が見える人なら、何かしらメッセージが伝わると思う。

 だが、視覚的な意味で「出して見せられない」時は、実質的に想像や妄想と変わりない。

 この辺が実にもどかしい。言葉だけでは理解して貰えないからだ。