日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎妄想天国 第一話 「東京もん」

◎妄想天国 第一話 「東京もん」

 あくまで白日夢ですので、そこはよろしく。

 

 長らく自粛していたから、どこかに出掛けたくなった。

 女房と相談し、女房の実家のある「イナカ県」の海に行くことにした。

 いまだ感染の拡大が収まる気配がないから、地元の人には嫌がられるかもしれぬが、ほんの数日、海岸で過ごすくらいは許して欲しいところだ。

 半年くらい前に、親戚の葬儀で妻の実家に行ったのだが、その時、俺の車が故障したので、義姉の車を借りて戻って来た。その直後に、あの感染症が蔓延したから、いまだに車を取り替えられずにいた。

 そういう意味もあり、いい加減、車を取りに行く要があったのだ。

 そこで、先に海岸の旅館に泊まりのんびりした後で、義姉の家に向かうことにした。

 同行者は俺と妻、それに六歳の娘の三人だ。

 

 「でも東京から来たって分かったら、地元の人に嫌われるかもしれないよ。私の勤め先の病院では、沖縄の子が親に『お前は絶対にこっちに帰って来るな』と言われたんだって」

 妻は心配性なので、「東京から来た」ことで、地元民から何か言われるのではないかと気に病んでいる。

 「大丈夫だろ。今、乗って行く車は『イナカ』ナンバーなんだし、東京から来たなんてことすら気付かれないさ」

 「旅館の方はどうしたの?」

 「お義姉さんの住所を書いてある」

 テレビではちょうど感染症のニュースを流している。妻の出身県の周囲では、自治体ごとにあれこれと移動制限が掛けられているらしい。

 「何だか、歓迎されないみたいだね」

 「そりゃそうだろ。日に千人単位で感染者が出てるんだからな。ロックダウンされないだけましだろうよ」

 でも、「やるな」と言われることをやるのは楽しい。スリルこそ快感の源だ。

 不倫が無くならないのは、それが「やってはならない」ことだからで、禁則行為でなければ、きっと半減する。

 

 五時間ほど運転して、旅館のある港町に着いた。

 この町はいまだ「昭和」の佇まいを残している町で、何もかもが懐かしい。

 旅館までは間近だったが、その前に腹ごしらえをすることにして、「海鮮料理」という幟の立った店に入った。

 店の中は閑散としていたが、テーブルの三つ四つに客が座っていた。

 いいとこ、六七人といったところだ。

 俺たちは椅子席から少し離れた座敷席に座ることにした。

 ま、用心のためだ。

 

 「いいか、お前たち。何でもいいから、地方の言葉を話の中に混ぜるんだぞ。何も話さないのが一番だが、それもおかしいからな」

 「わたしはここのイナカ県出身だけど、内陸の方だから、この辺は知らないよ」

 「別に何でもいいよ。東京から来たと思われなければそれでよい」

 「分かったわ。じゃあ、大学時代の地方出の友だちのことを思い出してみる」

 客が少なかったせいか、料理がすぐに届き始めた。

 さすが海沿いの町で、総てが新鮮だ。

 さっきまで生きていたという烏賊の刺身を食べ、早速女房が声を上げた。

 「ああ美味しい。なまら美味しいわ」

 「そりゃ北海道だが、まあいっか。本当になまら美味しいね」

 ここに娘が加わり、「なまらだあ。なまらだあ」と騒ぐ。

 少しヒヤッとしたが、しかし、周囲の客は誰一人としてこちらには気を払わぬようだ。

 こりゃいいぞ。

 

 ここで椅子席の方の前にあるテレビがニュースを流し始めた。

 「先ほど、県議会で東京都民排除法が可決されました。つきましては・・・」

 すると、周囲のオヤジ達が足早にテレビの近くに集まった。

 「やるやると言っていたが、知事もついに腹を決めたか。ま、これだけ感染が拡大してれば、受け入れられねえよな」

 「あれだけ増えてるのに、よその県に平気で出掛けられちゃ、堪ったもんじゃない。きちんと罰則を設けなくちゃダメだ」

 「今度のは罰もあるらしいよ。しかもかなり重い。拘束されて隔離になるらしい。ほら、このイナカ県には今は使っていない古い刑務所があっただろ。あそこに隔離する」

 「ふうん。今や感染が犯罪と言うわけか」

 「当たり前だべさ。東京もんがうろうろしたら、もともと高齢者の多いイナカ県では、感染して死ぬ者が少なからず出るわけだんべ。殺人と同じことだものな」

 「もし他人に移したらどうなるんだべ?」

 「死刑。当たり前だろ。ひとを殺してるんだから」

 

 このオヤジたちの話は全部丸聞こえだった。

 そのせいで、俺たち家族からは物見遊山の気持ちがすっかり消えた。

 俺は小さい声で妻に告げた。

 「こりゃ不味いぞ。よくよく気を付けねば、ひどい目に遭いそうだ」

 「わたしはこのイナカ県出身なのにね」

 「お前。十五年も東京で暮らしてれば、十分過ぎるほど『東京もん』だろ。感染が始まった時には東京にいたわけだしな」

 「分かったわ。それじゃあ、早く食べて宿に行きましょう」

 せっかくのご馳走だったのに、それから先は料理の味が分からなくなった。

 うっかりすると拘束されてしまうんじゃあ、当たり前だ。

 下手すりゃ「死刑」かもしれん。

 

 食事を終え、会計をしにカウンターに向かう。

 俺は内心でほっとしていた。

 「よかった。何とか無事に旅館に向かえそうだ」

 ちょうど俺がレジの前に立つと、テレビで感染情報が流れ始めた。

 「本日の東京の感染者数は二千六百五十二人でした。うちN馬区オオヒガシ小学校の児童カタクリクリオ君が亡くなったというニュースが入っております。カタクリ君のご家族は全員が入院中だとのことです」

 俺は思わず妻と顔を見合わせた。オオヒガシ小学校は、娘が通っている小学校だったからだ。

 俺の傍らで、娘が大声を上げた。

 「ええ!!クリオ君が死んじゃったの?クリオ君はわたしの隣の席の子なんだよ」

 俺は驚いて、娘の口を手で塞いだ。

 死んだ児童と同じ小学校に通っているとなれば、俺たち家族は「東京もん」に間違いないからだ。

 妻も首をすくめている。

 恐る恐る夫婦二人で後ろを振り向くと、店の客全員が俺たちの周りに集まっていた。

 

 赤い顔をしたオヤジ客が正面に立ち、俺たちを問い質す。

 「おい、あんたがた。あんた方は『東京もん』だろ。娘をN区の小学校に通わせているのだからな。ここじゃあ、『東京もん』はご法度だ。このイナカ県には『東京もん』は入っちゃならね。なんてったって、このイナカ県では、感染者がゼロの県だからな。ウイルスを持ち込まれちゃ困るんだよ」 

 オヤジたちの顔つきと来たら。皆が血相を変えている。

 「すいません。すいません。僕らに悪気はなかったのです。ただ、ずっと家の外に出ていなかったものですので、たまには息抜きが必要かなと思いまして」

 すると俺の横に立つオヤジが思い切り首を振った。

 「いんや。あんたの車はあれだろ。『イナカ』ナンバーじゃねえか。偽装工作までしてるんだから、十分に確信犯だ。おい、誰か警察を呼んでくれ。こいつらは捕まえて貰わにゃならんでな」

 「いやいや、車のナンバーはたまたまです。義姉の車を借りていたので、返しに行くところだったのです」

 ここで、俺は妻のことを持ち出すことにした。

 「それに、女房は『イナカ県』の出身です。『東京もん』じゃあ、ありません。大体、東京には三代続けて住まないと出身者だと名乗っては行けないという決まりがあります」

 正面のオヤジがせせら笑う。

 「ほれ。そういうところが、もう『東京もん』だってえの。地方のことをさんざバカにして来たから、その因果が回り回って自分に跳ね返っているんだよ。大体、何十年も住んでいるんだから、もはやとっくの音に『東京もん』の気分でいるだろうに」

 そりゃ正しい。さっき俺も妻にそう答えた。

 

 「ここは何とか勘弁して貰えませんか。もう俺たち家族はどこにも寄らず家に帰りますから」

 この俺の言葉が終わらぬうちに、四方から声が上がる。

 「うんにゃ。そりゃ駄目だ」

 正面のオヤジは、微妙に俺たちと距離を取りつつ判決を言い渡した。

 「駄目だね。あんたたちはこの県の住民の生命を脅かしている。そんな奴を放置するわけには行かない。大体、ナンバーを偽装してる奴が、今ここで解放して貰ったからと言って、その約束を守るべか?アリエネー話だ。絶対にここの県内でウイルスを撒き散らす」

 「そんなことはしませんよ」

 「いい加減に黙ってお縄に付け。穏やかに従えば、二週間の刑務所隔離で済む。罰金が一人二百万だから、三人で六百万。これを払えば、釈放して貰えるさ」

 「え。罰金まであるんですか」

 「さっきニュースで言ってただろ。罰則を設けなければ、人は従わない。二週間の刑務所隔離くらいなら、若い奴を始めとしてどんどん入り込んで来る。あんたらはまだ良い方だよ。もし三十歳未満だったら、鉱山で労役だもの。女は飯盛り女だし」

 「『飯盛り女』って、一体何時の時代の話ですか」

 すると、女房はこの意味が分からなかったらしく、俺を小突いた。

 「配膳係なら別にキツくないじゃないの」

 しかし、俺はその言葉の意味を知っていた。

 「バカ。『飯盛り女』ってのは、客にお酌もすれば春をもひさぐ女のことだ」

 

 遠くでサイレンが鳴っている。

 もし捕まったら、刑務所と六百万だ。

 俺はここで腹を括った。

 すかさず俺は鞄に手を入れ、拳銃を取り出した。

 「下がれ。俺は警察官だ」

 俺は休暇を取っていたのだが、非常事態宣言の後は、社会不安が増していたから、警察官は何時いかなる時も銃の携帯を許可されるようになっていたのだ。

 自治体ごとに法律が作られているから、万が一のことを考え、俺はこれを持参していた。

 

 赤ら顔のオヤジは驚いた様子もなく、俺に告げる。

 「やはりこいつは凶悪なヤツだ。俺がきっとそうだと睨んだ通りだったな。ウイルスは撒き散らすわ、銃を持ち出すわだもの。これじゃあ、間違いなく死刑だね」

 外でキキキッとブレーキの音が響き、パトカーが店の前で停止した。

 正面のオヤジが後ろを振り向き、その様子を確かめる。

 「あんれまあ、四台は来てらあ。こりゃこの場で射殺だな。早く投降した方がいいぞ。少なくとも、死刑になるまでは生きていられる」

 冗談じゃない。

 とりあえず、俺は天井に向け、銃を一発撃った。

 「よおし皆、店の中央に集まれ。抵抗する者はその場で射殺するぞ。早くしろ」

 行きがかり上、仕方がない。何とかこの窮地を脱して、この県の外に出なくては。

 ここを出さえすれば、あとはどうにかなる。

 

 ここで店の外の方から、スピーカーの声が届いた。

 「犯人に告ぐ。武器を捨てて出て来なさい。今ならまだ間に合うぞ」

 こいつら一体、何を言ってるの?

 傍らでは、妻と娘がしくしくと泣いている。事の成り行きが急すぎて、付いて来られぬのだ。

 「おい犯人。狭いところに閉じ籠ったら、人質たちが感染してしまう。早く人質を解放し、その後にお前が出て来おい!」

 警察に通報した者がある事ない事を話したと見える。

 

 ガラス窓の外を見ると、警察の中にライフル銃を持った狙撃隊員が三人混じっていた。

 「いつもは動きが遅いのに、こういう時に限って迅速に動きやがる」

 俺は警察官だから、身内なのにな。 

 パトカーのランプが赤く点滅するのを眺めながら、俺は自分が「随分と遠いところに来ちまった」ことを悟った。   (終)