◎夢の話 第782夜 総理のGS
二日の午前五時半に観た夢です。
車で高原の道を走っていると、急にエンストした。
ガソリンは満タンなのだが。
「バッテリーか。へたってるって言われてたな」
ここで、つい一キロ手前にスタンドがあったことを思い出した。
脇を通り過ぎて来たばかりだ。
「あの店にレッカーは無い。緩い下り道なんだから、あそこまで押して行こう」
車を降りて、後ろに回り、えっちらおっちら押し始めた。
一キロの道を一時間かかって戻り、スタンドに車を入れた。
田舎によくあるような「ジョウロ」が二つだけのちっぽけな店だ。
「ジョウロ」はガソリンの注ぎ口のことだ。俺は名前を知らないから、とりあえずそう呼んどく。
事務所に人がいなかったので、工場の方に回ると、小さなクラシックカーが台に乗っていた。人が下に入って車の整備をする台だが、こっちも名前を知らない。
車の下から脚が二本出ており、今はそこで作業中のようだ。
「ちょっと、あんた。さっきから声を掛けてたけど、聞こえなかった?」
すると、車の下から返事が返って来た。
「店の人はいませんでしたか。私はこの店の者ではないんですよ」
「え。前には誰もいないよ。バッテリーを交換したいのだけど。あんたがやってくれないかな」
「少し待ってれば、誰かが来ると思いますけど」
「そんなこと言わずに頼むよ。俺は女房の結婚式に行かなきゃならないんだから」
車の下の男の動きが止まった。
「女房の結婚式って、何なのそれ。どういう意味?」
そりゃそう思うのも無理はない。この言い回しではな。
「正確には、元の女房が再婚するので、その結婚式に呼ばれたんだよ」
「へ?よく呼んだものですね。あんたもよくそれに行くなあ」
「離婚した理由が俺の浮気だし、俺は今、その浮気相手の娘と暮らしているし、女房が結婚する相手が俺の幼馴染だしと、複雑な事情があってね」
「本当だ。珍しい」
「それでここの高原の教会で結婚式をすることになったから、こうやって来たんだが、途中でバッテリーがダメになっちゃってさ」
「そうですか。それじゃあ、私が行きましょう」
車の下から男が這い出して来た。
その男の顔を見て、俺は驚いた。
「ありゃ、総理のそっくりさん?」
だが、よくよく見ると、「似た人」ではなく本人のよう。
「国会の会期は昨日で終わり。三日くらいの間、総理は別荘に行くとは聞いていたが、しかし」
すると、その男は悪びれる様子もなく、俺に頷いた。
「そ。私です」
マジかあ。こんなことがあるの?
「何でまた、こんなところに」
総理が歩き出すので、俺もついて行く。
「毎日毎日、野党の連中に煩く言われるもんだから、ストレスが溜まるんだよね。私の趣味は車いじりだから、休みにはこうやって車の整備をしてるわけ」
「良い車だよね。確かジェームズ・ボンドが三番目の映画で乗ってたヤツだ」
「そ。よく知ってるね」
行き掛り上、俺は敬語も使わず、店の親仁に話す口調でしゃべった。
この方が向こうだって気が楽だろ。
「警護とかいなくていいの?」
「そんなのを連れてりゃ、私がいますって宣伝するようなものじゃない」
「それもそうだ」
総理がボンネットを開けて、中を検める。
「ああ、本当だ。よくここまで放って置いたもんだ。この高原に来られたのも不思議なくらいだね」
「やっぱり?」
「そう」
意外だったが、総理は慣れた手つきでバッテリーを外し、キャリアカートに乗せた。
「今、新しいのを持って来るから、ちょっと待ってて」
なんか、気さくな話し方だ。イメージとは違うよな。
総理はすぐに戻って来て、新品のバッテリーを設置し始めた。
俺はその横顔を間近で見ていたが、ごく普通のオヤジだった。
「総理。こういうところを少し皆にも知らせれば、皆が親近感を覚えると思うよ。ほとんどの者は、総理は金持ちとしか付き合わないと思っているもの。下々の者とは一切関わらない」
男が苦笑いを漏らす。
「そんなことないよ。行き掛り上、そういう態度を取っているけど、普段は普通のオヤジなんだよ」
「そっか。色々大変だね」
「まあね」
俺は奥さんのことを訊こうと思ったが、総理の顔を見ているうちにその気が失せた。
「たぶん、甘やかしているってわけじゃないよな。たぶん、そっちも事情がある」
つい口に出して言ったから、総理にも聞こえたらしい。
「え。何?」
「いや。何でもないよ。ただ、いつも大変だろうなってさ」
「仕事なんだから、仕方ないよ。誰でも同じ。仕事でやる分には、つらいこと、苦しいことの方が多くなる」
「そりゃ違いない」
バッテリーの交換はものの十五分で終わった。
代金を払わねばならないが、しかし、店の者が帰って来る気配がない。
「どこ行ったんだろうね」
「本当だ。私はレジは触れないのに」
ここで俺は閃いた。
「俺はアナログ派だから、現金を持ち歩いている。バッテリーの値段は二万前後だろうからそれくらい置いとくよ」
しかし、総理はちゃんと値段を知っていた。そこは車好きだ。
「一万六千円だけど、お釣りを出せない」
「釣りなんかいいよ。総理大臣にチップをやれるんだから、そんなのを経験する国民は滅多にいない」
総理がクスクス笑う。
「あとでお釣りを届けて上げるよ。あそこの教会でしょ。この辺じゃあ、一軒しかないからね」
「マジなの?」
「うん。いいよ」
こういう話を皆が知れば、好感度が抜群に上がるだろうに、いつも正反対のことばかりやってるよな。取り巻きがダメなヤツばっか。「あこぎなコンサル」を雇えば、支持率を80%まで上げられるのに。俺はそういうのを一人知ってるね。ま、俺のことだが。
「その、元の奥さんの結婚式に出るヤツがどんな顔をして座っているのか見てみたいしね。その奥さんと再婚相手も並べてみれば、さぞ面白いだろ」
ありゃりゃ、この総理も何時の間にか友だち口調になっていた。
「記念写真に混じっても、きっとバレないよ。まさか総理大臣がこんなところにいるとは誰も思わない。きっとそっくりさんだと思う」
「いいねえ。シャンパン飲めるの?」
「おたくがいつも飲んでる高いヤツじゃないけどね」
「そんなの気にしないよ。それに私はいつも焼酎の安いのを飲んでるし」
それそれ。そこなんだよ。国民の身の丈に近づけってえの。
奥さんのことは「きちんと妻にも言い聞かせて置きます」と言うだけで、大半の国民が納得する。問題などどこかに消えて無くなるのだ。
「文句を言うのは、いつものレンホーだけ」
俺はこの妄想もつい口に出していた。
「え。何?何のこと?」
「いや何でもない。じゃあ、待ってるよ」
「うん。分かった」
一時間後、約束した通り、総理は釣りを持って教会に来た。
その後のパーティで、俺と総理は浴びるほどシャンパンを飲み、肩を組んで記念写真を撮った。
すっかり酔っ払った俺は、元女房の花嫁姿を見て、オイオイ泣いていた。
総理はそんな俺の姿を見て、肩を小突いた。
「おい。娘が嫁入りしたわけでもあるまいし、泣くことはないだろ。さては、元の奥さんにまだ未練があったな」
「そんなんじゃないよ」
だが、嫌いで別れたわけでは無いから、実際、悲しい気持ちもあった。
離婚理由は俺の浮気なのだが、そんなのは正直、「男の性」なんだから仕方がないだろ。
「総理だって、この数年やって来たことと、真逆の振る舞い方をすれば名宰相と呼ばれるのに」
「違いない」
ありゃ。本人も少なからず自覚していたわけだな。
ここで覚醒。