◎怪談 第七話 マナナンガ
「怪談」シリーズは、「夢の話」などを基に、本当にはない「怖そうな作り話」として再構成するものです。
外国籍の妻が「お祖母ちゃんが亡くなったから、国に帰りたい」と言う。
こんな時世だから、国際便に乗るのはちとやっかいだが、家族が亡くなったのでは行かねばならない。
妻は小学校で英語を教えているので、夏の間はひと月ほど休みがある。
行きも帰りも到着の後、二週間ほどホテルに隔離されるはずだが、何とか都合がつくだろう。
「お前はマニラ育ちで、お義母さんはオロンガポにいる。俺は幾度かお義母さんのところを訪れたが、お祖母ちゃんに会ったことが無い」
「お祖母ちゃんは別のところに住んでいたからね」
ここで思い出した。
「そうか。俺が『会ってはならない』と言われていた人だな」
「そうよ」
戦争の時に、フィリピン人は日本軍に対し激しい抵抗運動を行った。
日本軍はこれに対抗するために、所々で掃討作戦を展開した。
妻の祖父母は一般人で、レジスタンスに加わっていたわけではなかったが、日本軍は村の男を集め、塀の前に一列に並ばせて、機銃で撃った。
義理の祖母は、目の前で無実の夫を殺されているから、日本人のことを恨んでいる。
たまたま、孫娘が日本人と結婚することになったが、孫の夫であっても日本人だから、「きっと鉈を持って切りかかろうとする」だろう。だから、「その人に会ってはならない」と言われていたのだ。
実際に、義理の祖母は、その地に足を踏み入れた日本人技術者のことを、包丁を持って追い掛け回したことがあったらしい。
ま、それも当然だ。俺でもきっとそうする。
その祖母が亡くなったのだ。
「だいぶ長生きしたから、大往生というところだな。いったい、幾つだったの?」
「百二歳」
「それじゃあ、葬式では皆で悲しむというより、お祝いをするということだ。日本でもその歳まで生きたのは目出度いとされる」
「そんなに長生きする人は滅多にいないから、お祖母ちゃんは『魔女』と呼ばれていたのよ」
「平均寿命が確か五十歳台だったから、一般人の二倍は生きたことになる。確かに『魔女』と呼びたくなるだろうな」
ここで思いだした。
妻は妙に勘が鋭いところがある。ひとの「生き死に」を言い当てたり、「近いうちに病気になる」ことを予言したりした。そしてその予言は、外れたことが無い。
「それじゃあ、お前はそのお祖母ちゃんの孫だから、魔女の血筋の者だってことだな。道理で俺がちょっと他の女と飯を食っただけでも、正確にそれを言い当てる」
俺の方は冗談だったのだが、しかし、妻は真顔のままだった。
「お母さんが跡を継がなかったから、誰かが引き継がなくちゃならないわね。土地もあるし」
義理の祖母は、そこそこ広いマンゴ畑を持っているらしい。使用人を雇ってマンゴを収穫させ、広い邸宅に一人で暮らしていた。
かつて、マルコス大統領が「山下財宝」を掘り当てた時に、財宝のありかを教えたのが、そのお祖母ちゃんだという説もあるらしい。義理の祖母は霊感でそれを言い当てた。
一介の将校だったマルコスは、軍用機を使ってそれを米国に送り、その資金を使って、大統領にまで上り詰めたのだ。
「今はこんな状況だから、俺は一緒に行けない。そもそも俺はお祖母ちゃんの嫌っていた日本人だしな。俺がお墓に行ったら、バチが当たるかもしれん。今回はお前を一人で行かせるが、十分に気を付けるんだぞ」
「うん。親戚に来て貰うから、きっと大丈夫」
空港まで妻を送って行ったのだが、搭乗ゲートに入って行く後ろ姿を見ると、さすがに寂しい。
「いつも口喧嘩ばかりしているけれど、そこは夫婦ということだ。俺の良いことも悪いこともよく知っているし、それでいて放り捨てることもない。俺の最大の理解者ということだ」
早く帰って来てくれよ。
ひと月後、妻が帰国した。
特に日焼けもしていなかったが、ほとんどの期間をホテルに止められていたからだという。
「お祖母ちゃんのマンゴ園は私が引き継ぐことになった」
「ほう。それは凄いね。庄園主さまだ」
「四十人くらいの使用人がいて、その家族を含め二百人の面倒を見なくてはならなくなったのよ」
「そいつは大ごとじゃないか。こっちに帰って来ても良かったのか?」
「大丈夫。昔からの執事がいるし、弟が見てくれる。私は一年に一度か二度見に行くだけ」
「この国では、ただのオバサンだが、あっちの国では、プランテーションの主なのだな」
二百人の家族を養うんじゃあ、ちょっとした「ご領主さま」だ。
空港には車で迎えに行ったが、帰宅する途中で買い物をすることにした。
妻はひと月の間、家を留守にしていたから、生活必需品が幾らか足りなくなっていたのだ。
駅近くの駐車場に車を入れ、夫婦で買い物に行った。
駅前広場を通り掛かったが、そこには十数人の若者たちがいた。
夜に開いている飲食店があまりないから、酒を買って来て、広場で酒盛りをしているのだ。
大声で騒ぐ若者たちを横目に、思わずつぶやく。
「これじゃあ、自粛もへったくれもないな。感染の拡大が止まらぬのも当たり前だ。警戒などもはや誰もしていない」
実際、駅前には人が沢山出ていたし、営業している店もあった。
「メディアがひたすら『若者には重傷者が少ない』と喧伝したから、自分たちだけは大丈夫だと思っている。実際には後遺症があり、男女ともハゲて河童頭になるのにな。きっと知らないのだな。頭のてっぺんがつるりと禿げる」
「女の子も?」
「そう」
妻はちらと若者たちを見て、「じゃあ、あの子たちもハゲるんだ」と笑った。
酒盛りの若者たちの中には女子が数人混じっていたのだ。
すると妻の様子を目ざとく見ていた若者がいた。
すぐに妻に怒鳴って来た。
「ババア。何見てるんだ。こっちを見てるんじゃねー。おめえらは家に帰れ。感染するぞ」
俺はすぐに妻の手を引く。
「相手にするな。エネルギーの無駄だから。馬鹿には関わらぬのが得策だ」
黙ってその場を去ったが、若者たちは何やら後ろで叫んでいた。
車に入る時に、俺は思わず妻に言った。
「ああいう奴らのために、何千人か余計に人が死ぬ。仮に若者が一度に何百人か感染してバタバタと死ぬような事態にならなければ、きっと自粛などしないだろうな。自分のことだと思っていない」
だが、腹を立てていたのは、俺よりも妻の方だった。
「罰があたればいいのに。いいえ。私が罰を当ててやるわ」
思わず妻の顔を見ると、夫が退くくらいの憤怒の表情をしていた。
「おいおい。そんなに怒ったのか。まあ落ち着け。今度の変異株は若い奴らも見境ないから、きっとあいつらの幾人かはそれにかかる。そして、重症化するか禿げる。そう思えばいいだろ」
だが、妻は返事をしなかった。
翌朝、ニュースを点けると、若者の変死事件について報道していた。
「昨夜、S区の路上で酒盛りをしていた若者が帰宅途中で何者かに襲われ、救急車で運ばれました。三人が死亡し、四人が重傷と報告されています」
俺は少しく驚いた。
場所がまさに俺たち夫婦が通り掛かった、あの駅前広場で、俺たちが去った二時間後の出来事だったからだ。
「まさかあの若者たちのことか」
きっと、大騒ぎしていたあいつらに腹を立て、誰かが通り魔的に襲ったのだな。
ここに妻が起きて来た。
「おい。昨日のバカな若者たちが誰かに襲われたそうだ。そりゃそうだな。傍若無人の振る舞いだったから、怒る者が出るのは必定だ」
妻は「そう」とひと言だけ答えた。
「随分そっけないな。このニュースを聞いていたのか。まるで起きたことを知っていたみたいだぞ」
妻は黙っていた。
俺は内心で思った。
「魔女の孫娘のコイツだ。まさかあの若者たちを懲らしめに行ったんじゃあないだろうな」
しかし、昨夜、帰宅すると、妻はシャワーを浴びて、すぐに寝室に入っていた。
俺は夜中に仕事をするから、仕事部屋にいたが、物を取りに妻の寝室に入った時には、布団から妻の足が見えていた。
窓は何故か開いていたが、妻は眠っていたということだ。
では、コイツじゃないということ。
だが、夜中に若者が変死する事件は、その後も続いた。
毎晩、帰宅途中の男女が一人か二人、不審死する事件が起きたのだ。
しかも、首筋を噛みちぎられている。
これは妻が帰国した日から四日間続いた。
警察は「闘犬用の犬か狼の飼い主が通行人を襲わせている」と判断し、動物の飼い主の捜査を始めた。
俺は俺で、少し妻を不審に思うところがあった。
妻はそれまで病弱で、南国人らしからぬ青白い顔つきをしていたのに、帰国してからは、日を追うごとに血色が良くなった。
誰の眼にも、妻の表情が明るくなり、快活に見えた筈だ。
だが、夜になり、周囲が暗くなると、少し様相が変わる。
どこがどうとは言えぬが、凄まじさを覚える。振る舞い自体は変わらぬのだが、何故か「凄み」が全身から滲み出るのだ。
「おかしい。きっと何か秘密がある」
事件のことはともかく、俺は妻が変貌した理由を探ることにした。
妻の様子をそれとなく見張ることにしたわけだ。
早速、次の日、夜中に妻の寝床を見に行った。
妻は布団に包まって寝ていたが、端から両足が出ていた。
「別にどこか外に出ているわけじゃない」
少しく安心する。
窓を見ると、やはり少し開いている。そこで俺は窓ガラスに近づき、音を立てぬようにそれを閉めた。
すると夜中の三時を過ぎた頃のことだ。
「がっしゃーん」という音が響いた。
慌てて妻の寝室に行くと、窓ガラスが壊れていた。
その前に妻が立っている。
「なぜ勝手に窓を閉めたの。私は寝ている間に時々息苦しくなる。そんな時には外の空気を吸いたくなるからいつも開けているのよ」
妻に詰問され、俺はすぐに謝った。
「それは済まなかった。お前は寝ぼけて家の中を歩くことがあったが、今は別々に寝ているから、そのことを忘れていた」
頭を下げてはいたが、しかし、「それなら、窓が開いていたら余計に危ない」と思った。夢遊病の気があるなら、窓の外に出てベランダから落ちてしまうかもしれん。
何だかおかしいぞ。
それから数日後に俺は一人で飯を食いに出た。
エスニック料理が食いたくなったからだが、その店には妻と同じ国の中年女性が働いていた。
たまたまカウンターに座ったので、女性が目の前にいる。
そこで、俺は帰国後の妻の様子が変わったことについて話をした。
その女性は、見る見るうちに表情を変えた。
「奥さんはどちらの方ですか?」
「マニラ育ちだけど、母親はオロンガポで暮らしている。つい最近、お祖母ちゃんが死んだからシキホル島に行って来た」
すると、女性は「やっぱり」と呟く。
「その島にはマナナンガの言い伝えがあります」
「マナナンガ。それは何?」
「夜になると、上半身だけが胴体から離れ、空を飛ぶ魔物のことです。その魔物は女で、椰子の木の上に止まっているのですが、下を通り掛かる子どもを捕まえて食べてしまうのです」
俺はドキッとした。夜中に妻の足を見てはいたのだが、上半身がどうなっていたのかまでは知らない。
「でも食べるのは子どもなんでしょう?」
「そうですよ。でも気に食わぬ相手なら大人も殺します」
いよいよ疑わしい。
何せ、妻の祖母は百歳を超えるまで生きた「魔女」だった。
「でも、眠っている間に体が離れるので、本人も自分が魔物だと気付かぬ場合があるそうです」
それなら、「お前は魔物か」と尋ねたところで埒が明かない。
若者の変死事件が途切れてから、一週間ほど経過した頃、俺は妻の様子を確かめることにした。
「もうそろそろ若いのを殺しに行く頃だ」と踏んだのだ。
そこで深夜まで待ち、妻の寝室を覗いて見ることにした。
夜中の二時を回った頃、俺は妻の寝室のドアを開いた。
窓は開いている。
やはり妻は布団から両足を覗かせて眠っていた。
俺は前の方に回り、布団をめくってみた。
すると、そこにあったのは丸めた毛布だった。妻の下半身は残っていたが、上半身の方は無くなっている。
「やはりそうだったのか」
ここで俺は思案した。
上下が離れている間に、残った下半身を隠してしまい、夜明けまでに魔物がそれを見つけられなかったら、その魔物は死んでしまう。そうあの女性は言っていた。
なら、この魔物を退治するには、この下半身を隠せばよい。あれは今夜も誰かを殺しているかもしれんのだ。
しかし、頭の中ではそれに反対する声が響く。
「それでも、これは俺の女房だ。言い訳も聞かず殺してしまっても良いのか」
俺には判断が付かない。
結局、俺は朝まで待ち、ひとまず本人に確かめてみることにした。
俺は妻にこれまでのことを総て話した。昨夜、妻が下半身しかいなかったことも伝えた。
これに妻は平然と答えた。
「私は眠っている間に何が起きているかは知りません。そんなことがある筈がないとも思います」
少しの沈黙。
「でも、もしそれが事実なら、きっと魔物になっている時の私は人を殺しているのではなく、生かしているのです」
外出禁止令が出ようが、今の人の多くはそんな決まりを守らない。長引く自粛に皆がウンザリしているからだ。
だが、そのことで確実に感染者が増し、人が死んで行く。
「これまでは毎日数万人が感染し、数百人が死んでいました。でも、マナナンガがでるようになったために夜に出歩けなくなったから、感染者は日に千人、死者が数十人に減りました。あと数か月これを続ければ、何千人、何万人が死なずに済むようになります。要するに、その魔物は人を殺しているのではなく、むしろ助けているのです」
「え。そんな理屈がアリなのか」
俺はここで自問する。
「確かに『年寄りの命なんか関係ねえ』と大っぴらに叫ぶヤツは現実にいるな。ワクチンに自分が反対だからと言って、他人分のワクチンをダメにするヤツもいる。そのことで接種できずに感染し、死んだ人もいるかもしれん。それならその破壊活動は人殺しと変わらん」
腹が決まり、俺は妻に告げた。
「子どもを食ったりせんで、身勝手な若者ばかりに天罰を与えているのは良い選択だな。実際、お前は人の命を救っている。この理屈は反ワクチン派とどこが違う。まるで違わないじゃないか。あいつらがテロ行為で逮捕されぬのなら、ここにいるマナナンガだって殺人を犯しているんじゃない。緊急避難的にひとの命を助けているんだよ」
そこで、これから俺は、この感染が収まるまでの間、魔物を手伝うことに決めた。
自分ことしか考えぬ者には天罰を与えるのがふさわしいからだ。
さあ、外に出て、「年寄りたちの生き死になど知ったことではない」と叫んでみろ。
お前の行く末にはマナナンガが待っているぞ。
はい、どんとはれ。
つい昨日、夢に観た内容だったから、かなりねじれている。