日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎物陰から覗く目  (一年前の振り返り)

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令和二年八月二十六日撮影

◎物陰から覗く目  (一年前の振り返り)

 一年前とは見解が違うケースになる。

 当時はまったく意識しておらず、別の個所を見ていた。

 今になり、気になるのは次の三つ。

1)休憩所の梁の周囲に出ている煙の帯

 これは時々、見掛けるが、何故これが見えるのかが分からない。

2)私のお腹の白い煙

 日陰から撮影しており、フラッシュも使っていない(蒸気玉系ではない)のに、煙が写る。

3)右下に女の片眼だけがあるように見える。

 

 これが果たして「説明のつかない現象」かどうかという話はどうでもよい。

 そういうのは興味本位の話だから、研究家なる者に任せておけばよい。

 大切な問題は、この直後の九月に著しく体調を崩し、特に腹部の調子が悪くなったことだ。

 その当時、女のような視線を「気のせいか」とスルーしていたのだが、改めて眺めると気持ちが悪い。この湖の周囲では、様々な異変が起きていた頃なので尚更だ。

 (ちなみに、今はほとんど何も起きない。)

 

 要は「これは」と感じた時には、「異変が生じている」ことを前提に対処をした方がよいということだ。九月には具合がかなり悪くなり、一時は「もはや」と覚悟した。

 かたち云々の話ではなく、「悪意」を感じるかどうかということの方が重要だ。

 

 いつも記す通り、車に例えるなら、「車の構造を完全に理解する必要はなく、ただ乗りこなせばよい」ということ。要は事故を起こさぬように乗ることが第一だ。