◎夢の話 第1147夜 「五月の妊婦」
九月六日に娘と家人を送り出した後、午前九時頃に見た夢です。
二か月余の入院生活を経て退院し、私は家に戻って来た。五十五歳の私は心筋梗塞を発症し、救急車の中で心停止した。命は取り留めたが、ひと月半を集中治療室で過ごした。その三週間後になりひとまず退院できるようになったのだ。
退院したのは一九八一年五月五日で、ちょうど子どもの日だった。
その子どもの日の翌日に、息子が還って来た。
息子は四十㌢四方の箱に入れられ、白い布に囲われていた。外務省の役人が家まで出向き、息子のお骨を届けてくれた。
「幾度かご連絡したのですが、お電話が繋がらぬので、こちらに来てみました」
「私は長らくICUの中で意識不明のままでした」
「そうですか。では、息子さんの件も?」
「知りません」
息子は二か月前に、タイのハジャイという街で強盗に襲われ、銃撃されて命を落としていた。
国内でも大々的に報道されたが、私は治療室の中にいて知らなかった。私に息子以外の親族はいないし、報道はひと月も経てば落ち着くから、目覚めた時には何も情報がない。
病院の関係者は、私とニュースの若者が親子だとはもちろん知らない。妻は息子を生むときに亡くなり、私は父子で暮らして来たのだ。
(中略)
その後の話は、一週間後くらいに、家をヴェトナム人女性が訪れる、その女性は「私はあなたの息子さんの妻で、妊娠しています」と告げる。
タイの難民キャンプで知り合い、そこで結婚し、大使館にも届けたそうだ。だが、そのひと月後に夫が事件に巻き込まれ亡くなってしまった。女性は難民で身寄りがいない。
そこでひとまず在留特別許可を貰い、日本にやって来た。
私は大いに疑ったが、書類を見ると、女性の主張の通りだし、前回の外務省の役人が連れ添っていて、女性の身分を保証した。
そこで、ひとまず女性を受け入れ、家で一緒に暮らすことにした。
夢の方はここから孫が生まれる時点まで飛んだ。
この辺で私は「自分が夢の世界にいる」ことを意識し始めた。
これって、「こういう話を書け」ってことだよな。
この設定なら詳細まで書ける。この頃、私は実際に難民キャンプでの生活を経験しているからだ。
ここで半覚醒。
そこで思った。
「生きて行くにはテーマが必要だ。テーマがあれば困難に耐えられる」
来年三月までは、たぶん生きている。その間に「誰かのためのストーリー」を12本書こう。
「12本」は一年に各月に合わせた内容で、歳時記的な構成だ。単編ひとつを仕上げるのに今はひと月掛かるから、既に書いてあるものを除くと、まだ八か月必要だ。少し足りぬが、時間を詰めるか再再延長を頼むことにしよう。
夢の結末は「別れ」なのだが、号泣して目覚めた。
ひとは心で生きている。
つくづく、「命と金のやりくりに打ちのめされるが、明確な生きるテーマがあれば、踏み止まっていられる」と思った。