日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話 第1K80夜 母を案じる

夢の話 第1K80夜 母を案じる

 大晦日の夜に観た短い夢だ。この夜に観る夢はまだ「初夢」ではないらしい。

 「初夢」は元日の夜に眠りについた後に観る夢ということだ。

 

 長患いの母が「買い物に行く」というので、家族で外出した。

 ドライバーは私で、父と母、それともう一人だ。もう一人は顔が朧気だが、たぶん従姉だと思う。

 父は父で所用があり、知人と会いに行った。

 母は洋服屋に行き、男物のカーディガンを見た。

 母は「これが良いね」と、シックな色あいのものを見ている。

 だが、サイズが少し大き目だ。父は介護施設に出たり入ったりしていたから、体重のコントロールが利いて、従前より痩せている。

 「少し大きいんじゃね?」と訊くと、母は「これでいいんだよ」と、カーディガンを私の両肩に合わせてみせた。

 父ではなく息子のだったか。

 そのために出掛けて来たのかと思い、身の縮む思いがする。

 母は末期がんの患者だ。外出すること自体がしんどかろう。

 それなら、早々に帰宅するべきだな。

 

 父が戻るのを待ち、車に戻ろうとしたが、どういうわけか駐車した場所が思い出せない。

 「俺自身が車を停めたのに、どうして?」

 じっくり考えると、俺の停めた場所は今いる場所からかなり離れていた。

 母を歩かせることは出来ぬから、車を取りに行き、迎えに戻る手か。

 だが、この場所は小さな商店街で、目印になる建物などはない。

 見る見るうちに、母の疲れが増し、弱って行くのが分かる。

 「ああ。早く母を休ませないと。母は俺のことを案じてここに来たのだ」

 心が千々に乱れる。

 ここでゆっくりと覚醒。

 

 末期がんで入院していた母が、恐らく「最後の退院」をすることになった時に、病院を出た母が最初に求めたのは、「デパートに行く」ということだった。その足で母はカワトクという店に行き、男物の服を買った。

 「前回、見舞いに来た時に息子が薄い服を着ていたから」買おうとしたらしい。

 その話を聞き、私は直ちに「それなら自分のことだ」と悟った。関東に住む私は北国の人が着るような厚手のセーターなどは身に着けない。毛のアレルギーがあるから尚更だ。

 実際、厚手のセーターとズボンを送って貰っていたのだが、体のサイズにぴったり合っていた。

 寸法を測ったわけではないのに、裾丈も合っていたのだ。

 「母親は子の細かいところまで目が届く」と思い知った。

 その時、私は「自分が死んだ後は、母の手を引いて様々なところを訪れる」という誓いを立てた。

 母は長患いだったから、観光地などを訪れることが無かったからだ。

 

 私は存命中から「あの世」に関わろうとしているので、死後にはその報いを受ける。

 死後には悪縁(霊)となり、亡者の隊列を率いるだろうし、生者に祟りを与える。

 死後の私は、黒づくめの服をまとった女の姿に化けると思う。

 私の撮る画像に、もっともよく現れる人影は、この「黒い服を着た女たち」で、要は死後の私と同じ姿をしている。

 いずれも酷い悪縁なのだが、私のことを見ても何も働きかけをせず、見逃す。

 たぶん、私が「同類」だと見取っているのだと思う。

 九割方、私はいわゆる「死神」の仲間になって行く。 

 

 だが、それを回避する手立てがひとつある。

 それは私が立てた「死後に母の手を引いて、様々な地を見て回る」という誓い守ることだ。

 そのことを声に出して言っていたから、母もそのことを知っている筈だ。

 今、このような夢を見始めたということは、再び「死後」に向かって歩み始めたという意味だろうと思う。

 頻繁に母を夢に観るようになり、母の声を聞く。そして、母が姿を現したら、その時が私がこの世を去る時になると思う。

 

 あけましておめでとうございます。

 皆様にとって今年一年が良き年になりますよう祈念します。

 

 添付の画像は、トラの神社で撮影した妖怪の姿になる。

 ひとまず「猫わらし」と呼んでいるが、ひとに災いを撒く者ではなく、むしろ「座敷童」のような存在だと思う。縁起が良いかもしれん。とりあえずは柏手でも打って拝んでおくとよい。

妖怪「猫わらし」

 「あの世」は人知の及ばぬ世界で、想像を超える者が現実に居る。

 小理屈など通用しないことを知るべきだ。