日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌「悲喜交々」 大晦日の病院

病棟日誌「悲喜交々」 大晦日の病院

 大晦日でも通院日。ロビーは真っ暗だが、椅子には一人二人座って下を向いている。

 家族が救急搬送されたので、待機しているわけだ。

 年取りなのにお気の毒だが、寒い時期には休みなく搬送されて来る。

 おろおろしている時には、段取りを教えたりもする。

 看護師の数が少ないので、こういう時には幾らか協力しないとね。入院の段取りとか、高額医療費補助の手続きとか、家族は忙しい。

 

 私自身の時はいきなり倒れたので、何も準備をしておらず、当初は不自由した。家人は外国籍だから、役所の窓口での手続きも上手く出来ない。

 医療費も百三十万くらいを現金で払ったが、さすがに後から補助を申請した。手続きを最初にやって置かずに、後申請すると、給付は三か月以上先になる。

 

 病棟に行くと、最近気になっていたオヤジさんが、ついに姿を消していた。ひと月くらい前から車椅子に乗っていたが、みるみるうちに顔色が悪くなって行く。

 農家のオヤジさんだったが、すごく良い人だ。挨拶などもきちんと出来る。

 大人は若者に「挨拶の大切さ」を言うが、なあに、自分たちもろくに出来やしない。

 「こんにちは」だけでは挨拶にならない。

 

 最近の私はもの凄く先鋭化しており、オヤジさんが背負っているものが手に取るように分かる。

 ご神刀で肩の周りを切れば、ひと月二月は長く生きられるのだが、他人に対しまじないのような振る舞いは出来ない。

 理解出来ないだろうし、ひとつ間違うと恨まれる。

 他人の「生き死に」にはよほどのことがない限り関われないし、関わるべきではない。「死期は幾らかは先延ばしに出来るんだよ」と伝えたいが、耳が受け付けないだろうと思う。そもそも「自分の死期」など考えるのも嫌な筈だ。

 ま、ひと度、「お迎え」や「死神」を見れば、すぐに考えが変わると思うが、それを知った時には、もはやあの世に旅立つ時になっている。

 相手の肩に触れてこちらが引き受けるという手があるが、代わりにこっちが抱え込むということになり、あとが大変だ。

 この十日間くらいは、真剣にあのオヤジさんに関わるかどうかを考えていた。少なくとも、声を掛けて慰めることは出来た筈だ。気に掛けて貰うだけで痛みが和らぐ。

 もし万が一、病棟に戻って来られるなら、手の中に小さい剃刀を隠して、ご神刀切りを施してあげようと思う。

 ま、それがもし見付かれば、ちょっとやっかいなことになってしまう。

 「剃刀で患者を襲うヤツ」になってしまうかもしれん。

 とりあえず、神棚に剃刀を供えて置く。

 だが、たぶん、あのオヤジさんは戻っては来られない。もはや線香の匂いが漂っていた。

 

 ところで、技師のエリカちゃんは若手の中ではすごく良く働く。

 手が空いているのを見たことがない。

 自分から仕事を見付けて、先に先にと進めて行く。

 「こりゃ八百屋か農家の娘だな」と思っていたが、やはり新潟の農家の娘だった。家の手伝いをふんだんにしていたから、働くことに抵抗がない。

 「俺も実家が商人で、大晦日の夜十時までは働いていた。正月は元日だけが休みで、二日から仕事だった」

 と言うと、エリカちゃんの実家は、新潟だけに米作り農家で「冬は仕事が無くて暇でした」とのこと。

 「おおそりゃいいや。自分ち用の米を送って貰える」

 米作り農家が自分で食べる米は、もちろん、最上級で、かつ農薬を押さえたものになっている。

 やはり「米だけは美味しいのを食べている」そうだ。

 

 看護師も患者も、休みは元日だけで、二日からまた出て来る。

 看護師たちは冬休みを二月くらいに取り、その時に帰省したり旅行をするそうだ。

 病棟の患者は、休んだらお陀仏だから、病院に顔を出すのは「生きている証拠」だ。

 私はあのオヤジさんみたいな患者が、暫くの間、家族と穏やかに過ごす時間を作ってやれるのではないかと考えるようになっている。死期は止められぬが、少し先延ばしには出来る。

 自分自身が実際に経験した。

 難しいのは、願うことと信じることとは少しスタンスが違うことだ。言葉では上手く説明できないし、感覚的な話だから、他人に伝えるのに苦労する。

 

 あと数時間で新年を迎える。

 ここで今年の記録と記憶を辿ると、今年の中で最も戦慄した瞬間がある。

 四月から五月へと体調が最悪の状態になり、血中酸素飽和度が96から93、そして90を切り、最悪の時には86%まで落ちた。

 90を割れば、もはやICUが必要なレベルだ。

 ところが、その時、医師も看護師もそのことには触れず、口を揃えたように「心臓カテーテルを受けるべきだ」と言う。これはその人たちの専門外の診療科の話だ。

 循環器内科に行くと、そこの医師も「カテーテルをやって確認しましょう」と言う。

 ええええ?私の心臓自体に疾患はないのに、何故にカテーテルをする?

 血圧など高くも引く苦も無く、至って正常だ(120台)。

 心肺症状があり酸素の吸引が必要なのだが、これについても誰も何も言わぬので、自分で酸素ボンベを買い、それを吸引していた。

 その時、「今の状態は病気が原因でこうなったわけではない」と気が付いた。

 昨秋、稲荷の眷属の障りを受けたが、それが本格化したのだ。

 それから先のことは逐一ブログやFBに記した。結局は「死霊祓い」で悪縁(霊)を遠ざけることに専念した。

 苦闘の日々だったが、ある時、夢の中に「お師匠さま」が現れると、悪縁が離れ、元隣家の空き地にあったドラム缶を腹立ちまぎれに叩き、去って行った。

 それを境に徐々に体調が改善した。

 「老病死」は必然だが、それを他者の思いのままに操られるのは腹が立つ。

 その後は、常に自分自身の直感を最優先することにしたが、どんどん前が開ける。

 今年は防戦一方だったが、来年は攻め込む番だと思う。

 

 さて、皆さま、良いお年をお迎えください。