日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌「悲喜交々」1/7 サントワマミー

病棟日誌「悲喜交々」1/7 サントワマミー

 やはり調子のよい日悪い日があり、この日は下の方。

 歩きながら、「今日はゆるぐねな」と呟く。これは数十年口にしていなかった田舎言葉だ。

 ま、こういう状態には慣れるしかない。

 この先だって、「今日が人生最良の日」であることは疑いないからだ。

 私のような末期的な患者になると、もはや良くなることはなく、「今より下がらぬ」のが最良の状態だ。

 その意味では、今が人生の頂点であることには間違いない。

 

 先日姿を消したお茶農家のオヤジさんは、やはり入院病棟にいるらしく、昼頃にこっちの病棟に運ばれて来ていた。

 ひとまずは車椅子でだったが、顔が土色だ。

 椅子に真っ直ぐ座っていられず、体が斜めになっている。次はベッドごと連れて来られることになるだろうな。

 オヤジさんを見ると、頭の周りに黒玉が五六個出ている。

 お祓いをしてあげようと思っていたが、残念だがもう手の施しようがない状態だ。

 黒玉がひとつ出た時にすぐに手を打つ必要があった。

 清浄な金属(ご神刀)で、その黒玉を切り取ってやれば、少し楽になる。

 ま、伸ばしても余命はひと月くらいだろうから、これをどう考えるか。

 「自分はもう持たんだろう」と思っていても、たとえ婉曲にでも他人がそう見ていると知ればショックを受ける。

 

 昨年には私自身も「他の人が自身の死を見る」経験した。

 医師や看護師が傍に寄り付かなくなり、誰かほかの人(病院や医師)に下駄を預けよとし始めたら「こいつはどうにもヤバい」と見ているということだ。

 皆に「コイツはもうおしまい」と見なされていると知ると、孤立感が半端ない。自分の意志で孤立するのは構わぬし、望んでいるのだが、勝手にそう扱われるのは癪に障る。

 

 それでオヤジさんにも試す価値はあると思う。

 看護師のいない隙を見て、オヤジさんの黒玉を動かしてやろうかと思うが、扱いをひとつ間違えると、私の上に乗る。

 慎重な対応が必要だし、うっかり誰かに見られて変な噂が立っても後が困る。

 仮にオヤジさんがよくなったりしたら、今度は来る日も来る日もお祓いをさせられる羽目になりそうだ。だが、老病死は必然で、止められない。

 いずれにせよ、「誰にも知られぬ」ことが最優先だ。

 

 ところで、母のところにお迎えが来ていたのは、二度目が来てから半年も経った後のことだった。

 慌ててセージを取り寄せて、小指の爪の先くらいの量を玄関や勝手口、寝室のドアの陰に置いた。

 どういうわけかは知らぬが、あの世の者はセージを嫌うから抑止策になると考えたのだ。

 普通の人ならセージの匂いなど気付かない。

 私も家で散々焚いているのに、まったく感じなかった。それほどの少量だ。

 ところが、母が夜中に起き出して来て、「何か耐えられない匂いがする」と言う。

 母が自らセージの小皿を探し出し、「捨ててくれ」と息子に渡した。

 その時に、私は「お袋はもう半ばあっち側の者になっている」と悟った。

 意気消沈とはこのことだ。もはや引き戻せなくなっていた。

 このことは、これまで誰にも話したことはない。

 

 困ったことに、セージの匂いにはすっかり慣れている筈なのに、今は時々、不快に感じて堪らぬことがある。

 この場合、私に起きているのは二つしかない。

 母同様に「私があちら側に足を踏み入れている」か、あるいは「セージを嫌う者が私の傍にいる」ということだ。

 どちらでも気色悪い事態なので、すぐにご神刀を取り出して、周囲の空気を滅多切りにする。

 「この俺を舐めとんのか」と口走っていたりするので、近所の人がこの様子を見れば、「異常な人」と見なされてしまうと思う。

 世間ではこの手の「常軌を逸した人」がよく事件を起こす。

 一年前とは激変したが、変わったのは、私を巡る状況ではなく、私自身だと思う。

見えぬ筈のものを見る機会がやたら増えて来た。

 精神に障害を起こしておらぬか自分でも危惧するが、たぶん、今の私が見ているのは妄想ではなく現実の一端だと思う。

 良い方に転がれば、さささっと除霊浄霊が出来るようになり、ちょっとした病気なら簡単に治せるようになるかもしれん。

 悪い方に転がれば、もの凄く凶悪な者になり祟りを振り撒くかもしれん。

 ま、総てがただの妄想なら、もの凄く有難い。

 病棟を出る時にくらくらっと眩暈がしてよろけた。

 思わず「目の前が暗くなる」と口ずさんだ。

 サントワマミー。

 

 以下は一夜明けた後の追記になる。

 「死ねば終わり」と主張する人の心は、とどのつまり、「死ぬのが怖い」ということだ。もし、死が完全な終わりを意味するなら、その後については何ひとつ恐れるものはない筈だ。

 だが、そういう人でも幽霊や怪談を恐れる。事故物件のマンションを避ける。

 存在しないものを恐れることほど愚かなことはない。

 要は「死後の存在はない」と思い込むことで、その手前の「死ぬこと」を遠ざけ、考えぬようにする行為に他ならない。要は「あの世ニートということ。

 こういう人はとにかく「無い」理由を探し、それだけを信じ込もうとする。論理もへったくれも無く、「死ねば終わりだからあの世は無い。あの世は無いから幽霊は居ない」みたいなことを言う。で、「幽霊など非科学的だ」と口を揃える。

 そういう論点こそ、「ないから無い」という非論理的、非科学的なものの見方だ。

 もし無いなら、何故幽霊が出るのかを再現して見せる必要がある。これは現時点では出来ない。出来ないなら、否定は出来ず、「分からない」とするのが科学的な態度だ。

 一方、これとは別にあの世の存在を認める者は、信仰に凝り固まっていたりする。

 お経を何千回唱えても、写経を何回しても、魂の救済とは何の関係も無い。

 何千万出して壷を買い求めたところで、何も変わらない。その宗教団体の指導者は、たった一枚の心霊写真すら自分の手で撮れない。

 人が死ぬのは神や悪魔とは関係がない。信仰とは別の次元の話だから、存在を信じるかどうかという文脈の話ですらない。

 存在を実証して、それを人生に役立てられるかどうかという流れで考えるのが正しい。必要なのは、信じることではなく実証することだ。

 

 さて、死期を先延ばしにするには、まず初めに「自分の死を受け入れる」ことが前提だ。

 そのことで「死期の迫る自身」の身の回りで起きていることを理解できる。何故そうなっているかが分かれば、そこで初めて合理的な手立てを打つことが出来る。

 病棟に居て、常に人の「死に間際」の姿を見ているが、殆どの者は、ミイラ同然の姿になっても、自身の「ほど近い死」を受け入れない。

 断末魔の苦痛に苛まれている人は「もう解放して」と叫ぶが、単に苦痛から逃れたいだけで、死を受け入れているわけではない。

 ちなみに、この場合の「受け入れる」は「了承する」ことではないので念のため。

 「事実として眺める」みたいな文脈だ。

 

 私の母でさえも、亡くなる当日の午前中に「彼岸の準備」の話をしていた。これは仏壇に何を供えるかという類の話だ。母が「もはや逃れられぬ」ことを知っていたので、私は母の傍にいて、ただ「あまり苦しんでくれるな」と願っていた。

 今、同じ病棟にいるお茶農家のオヤジさんに心を動かされるのは、「母をもう少し延命させられたかもしれぬ」と思うからだ。手を尽くせば、あと一二か月は生きられた。

 だが、それも単に「苦痛を先延ばしにする」だけかもしれん。

 死は避けられぬから、病棟の末期患者のように「泣き叫んで死んでいく」よりは、穏やかに眠って貰いたいという心情もある。

 母が亡くなって三年経つが、いまだに葛藤を抱えている。

 

 最初の「お迎え」が父の前に現れた時であれば、私は対処出来たと思う。たぶん、一年ニ年は母の死を先延ばしに出来た。

 これは自分自身が経験しているから、「手立ての探り方が分かる」という意味だ。

 先回りして相手の手を読み、どう避ければよいかを考えるわけだが、生き方は人それぞれなのだから、死に方も当然その人による。杓子定規に祝詞を唱えればよいというわけではなく、やり方はその人その人によって違う。

 無防備のまま、その場に立っても、もはや何も出来ない。

 「お迎え」が先んじて来てくれる人ばかりではなく、気付かぬまま死んでいく人もいる。

 「自身の死」を考えずに暮らしてきた人なら、「幸運にも」お迎えが先んじて来てくれたとしても、何も出来ずに連れ去られる。

 ここで「幸運にも」と記すのは、自身の死の到来を予め教えてくれるのなら、覚悟を決める時間的余裕が生まれるからだ。

 最大の問題は、死期を数か月、あるいは数年先延ばしに出来るとして、その時間が当人にどんな意味があるのかということだ。単なる苦しみの引き延ばしかもしれん。

 ただ伸ばしても同じことだから、時間(人生)の意味は、予め当人が考えて置くに限る。