日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「輪側処理技術の切り替えに見る時代測定」

◎古貨幣迷宮事件簿 「輪側処理技術の切り替えに見る時代測定」

 寛永銭などの貨幣を製造する時に、最終完成物の数は何百万枚から何千万枚の桁に及ぶ。母銭であれば、一銭種数千枚から一万枚まで存在数が減る。

 収集家は銭種に着目し、なぜか銭種ごとのバラエティばかりに目を向ける。

 だが、銭座の方に目を向けると、職人の数は最大で一千幾百人と対象が減り、装置になると数十台しか使用されない。

 それなら製造装置の観察から始めれば、銭座の仕組みや技術的側面から、銭種を含め作り方の相違を整序化する早道になる。

 現時点に近いところから始め、加工技術を過去に遡って行ったなら、何時頃、誰が作ったかということに接近できる。

 

 と言うわけで、輪側の処理方法の技術変遷を調べたのが、図1から5になる。

 図1①②は「誰が見ても新しいつくり」の品だ。ひとまず明治末から昭和戦前頃には同様の製作のものが作られていたとされる。

 まずはこれを基準に、手元にある七福神銭の製造技術年代の推定を行ってみた。

 この場合、ひとつの技術が全国に伝播するには相応のタイムラグがあることに配慮が必要だ。寛永当四銭の縦鑢は「銭棹に通した寛永銭を逆蒲鉾型の粗砥に通した」結果生じたものだが、これは安政年間に横鑢、すなわち「銭棹に通した寛永銭に砥石を押し当てた後に、細を回転させる」方式に切り替えられた。この方式が地方に波及して行くには相応の時間が必要になるわけだが、これはバラバラなので、技術の発祥時点を「製造技術年代」と見なすことにする。

 要は慶応年間に作っていても、縦鑢であれば「明和・文政式縦鑢」ということで、記年代ではなく「技術年代」を指している。

 

 結論は図6に示した通りだ。

 詳述すると「恐らく贋作者に利用される」と考え、これまでは細かに説明したことはない。これまで、「これは※※の時代のもの」と記して来たのには、相応の根拠がある。

 大量に処理するための装置を使ったかどうか。

 一枚ずつ手掛け処理をしたかどうか。

 グラインダ(発動機もしくは電動)を使用したかどうか。

 などは、輪側の線条痕で、ある程度窺い知ることが出来る。

 

 「技術年代」は「時点」を示すものではないが、「相対的にどちらの技術がより古いか」という見地からは、かなり確からしい判定を導くことが出来る。

 様々な推定結果が得られているが、面白いのは次の通り。

1)仙台大型七福神銭(本銭)は、文政期までの技術による(かなり古い)。

2)称浄法寺写しの仕立て銭と半仕立て銭は、別の装置を使っている。これは通常は「作った者が違う」と解釈される。 

 うち仕立て銭の方は幕末明治初年の浄法寺銭(当百)と技術的な相違が無い。

 見た目の印象よりも、製造技法的には古いつくりになっている。

3)発動機グラインダが工場で使用されるようになったのは明治中期以降だが、その後電動グラインダの登場により強弱がつけられるようになった。このため、グラインダの当て方にも変遷が見られる。

 より重要なことは、以上が「一部収集家の見解」に留まらず、誰でも検証可能だということだ。大家に極意を教わらずとも自分で検証できる。

 

 既に四半世紀前から「デジタルマイクロスコ-プを使用することで、見える世界が変わる」と説いて来たが、だがこれを真面目に受け取った人は殆どいない。

 現状では丁寧に説明する意味がないと思うので、ここまでとする。

 「古銭会の不思議なところは、時代測定を疎かにしているのに、分類ばかり求めること」だと皮肉を記して置く。文字の変化や点の有無に終始する議論には、とてつもなく疲れる。

 気に障ったら申し訳ないが、正直な感想だ。

 

付記1)明和・文政方式の縦鑢

 何故⑨⑩が江戸期のものなのか、その理由は

イ)最初に逆蒲鉾型の粗砥を通した上で(縦鑢)、

ロ)さらに個別の処理を加える、という二重の処理を行っており、かつ各々の線条痕が不揃いになっている。これは「粗砥」「砥石」の性質によるもの。

付記2)浄法寺の鑢

 浄法寺山内座の当百銭(南部天保本銭)と同様に、面を表に置いた時には、郭右横の輪側線条痕は「右斜め上から左下」に向け斜めに入る。背を表に置いた時には、これが逆(左斜め上から右下)になるが、一定の手法に基づくことから、線条痕の方向が揃っている。これが浄法寺山内の基本的な仕上げになる。要は原則として縦鑢を経由しないということ。

 このことで、同じように見える赤い地金の「南部銭」でも、

 1)浄法寺山内座銭、2)浄法寺山内系の銭(職人が関わっている)、3)非浄法寺銭は、割合簡単に分別できる。

 

注記)記憶に基づく一発書き殴りであり、推敲も校正もしない。このため不首尾は必ず生じるので、参考にする場合は各々の検証が必要となる。