日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 盆回し品の品評 D501-505

◎古貨幣迷宮事件簿 盆回し品の品評 D501-505

 あえて「盆回し」と銘打つのは、「回覧の上、品評を検討する」という手順を重視するからだ。品物が欲しいだけなら、入札誌やネットオークションを開けばそれで済む。

 よって、可能な限り、私見ではあっても見解を記していく。

 

D501、D502 花巻恵比寿、花巻大黒

 従来より、「花巻」または「江刺」という冠が宛がわれて来た絵銭だが、これは数多く発見される地を記したものだ。他では、見前で発見された一定の系統の絵銭群について「見前絵銭」という呼び方をする。これらは記号名であって、氏素性を示すものではない。

 一見して閃く謎は、幕末明治初年の本座銭(盛岡藩の公営・請負銭座製)や浄法寺、葛巻など密鋳大鋳銭座の製作とは違うという点だ。

 寛永銭を密造した銭座では、一度に大量の銭を作るから、割合粗雑になり、器具や人の手による癖が生じる。だが、この絵銭は地肌が滑らかで金味も良好だ。

 以下は、私個人の私見になる。

 要は「一枚ずつ丁寧に仕上げられている」ということで、これにもっともよく似ているのは南部鉄瓶の製造手法になる。

 鉄瓶職人が数百枚の絵銭を作ったら、こうなるだろうと思う。

 岩手県において、鋳銭職人と南部鉄瓶の職人が交錯する局面と場は、明治三十年の岩手勧業場のただ一点しかない。

 勧業場鋳としてで分かっているのは、盛岡銅山銭二期銭、三期銭だが、花巻絵銭はこの二期銭の配合と金味に酷似している。二期銭を所有する人が居れば、並べて見ると良い。

 鉄瓶の型は、じっくりと乾燥させてから溶鉄を流し込むが、このため、砂を除去した後の肌は割と簡単に滑らかに仕上がる。銭の方は一日に何万枚と製造するので、砂型は短時間火に焙って乾燥させたものを使用する。

 出来栄えは自ずから違って来るが、初鋳銭は二期銭と同じいわゆる「陶笵」製ではないかと思われる。

 明治時代の作であれば、がっかりする人も出て来るのは想像に難くない。

 だが、勧業場はれっきとした県立施設で、殖産振興のために県が研究開発機関として設置したものだ。

 この絵銭は「馬の品評会の際の褒賞メダル」として利用されたのだが、勲章的意味合いの品であれば、公的機関に製作を依頼するのも頷ける。意味は今で言う「国体の金メダル」と変わりない。

 某氏が賞状と絵銭の両方の現物を目にする機会を得たのだが、現品を入手には至らなかったので、今のところ確定するには至らぬ。

 幕末明治初年の鋳造貨幣の製造法と比較すると、多くのことを発見出来ると思う。

 今なら一時期の半値以下で入手出来るが、初鋳以後の写しもあるので、まずは初鋳を手に入れることからだと思う。初鋳かどうかは銭径とかは関係なく、砂笵の固め方による。当たり前だが、初鋳品と写しはまったく別の者の手になるわけだが、もちろん、収集家向けの品ではない。

 収集家向けの作銭はほとんどが「江戸物」だ(この言葉の持つ三番目の意味で)。

 

D503 駒引砂金袋 

 一見して、「よくこんな品を見付けた」と思う。真鍮銭だととにかく「若く感じる」人がいるかもしれぬが、江戸の一時期に集中して作られているし、金属の彫母から作り始める時には、固い地金の台を彫金する。

 図案が浅く、「元は金属か」と思わせるのだが、判子式の木型にもこういう意匠の品はあるから、確たることは言えない。

 ただ、配合が仙台領内であることと、彫り母から写した最初の子銭であることは疑い無さそうだ。

 蔵主はK村氏だが、ホルダーには「O井氏発掘」と興奮気味に記されている。

 だが、仙台領の絵銭の中核的基地は、石巻よりもかなり北にあるようで、旧葛西・大崎の北辺だろう。江刺地方には、独自絵銭が展開したと推定されるが、これまで仙台領北方の絵銭について収集・研究した事績を聞いたことが無い。

 唯一、K村氏一人が集めていたのだが、受け継ぐ人もないまま、K村氏は物故されてしまった。

 「江刺絵銭」どころか「仙台絵銭」すら、歴史の闇の中に消えて行きそうな按配だ。

 今は製作の類似性から、K村氏の見たものを類推するしかないのだが、絵銭の種類の豊富さは江戸に勝る勢いだ。さすが百万石の大藩で、何とも言えぬ底力を感じる。

 石高が半分以下の盛岡藩領民としては、癪に障るので、「とにかく仙台をけなす方針で来た」のだが、こういうのは逆に誉め言葉になってしまう(アイロニーだが)。

 私はこの絵銭のつくりを見ただけで感動する。

 こんなちっぽけな絵銭を作るのに、きちんとした彫師が彫金をしている。

 

 長くなったので、この日はここまで。

 いつも通り一発書き殴りで推敲や校正をしない。不首尾はあると思う。

 

追記)ゴザスレの改造母

 先ほど、積んであった雑銭の箱を倒してしまい、床に古銭をぶちまけた。

 がっかりしながら拾っていると、ゴザスレの俯永が目に入った。

 面背に鋳砂が残っているので、鉄銭の母銭として実際に利用したものだろう。

 周縁をゴザスレ式に削る改造は、鉄密鋳銭ではあまり多くない。

 収集用にはならぬが、無駄知識のネタにはなるかもしれん。