◎病棟日誌「悲喜交々」2/7 「助けて」
朝、病棟のベッドに座っていると、看護師のユキコさんがやって来た。
顔色が悪い。
ユキコさんは、私の前に立つと、いきなり、「助けて」と言った。
「駅のホームに立っていたら、人身事故の現場を見てしまったの。それ以来、眠れないし、吐き気がして、仕事を休もうと思うほどです」
女の人がゆらっと線路側に落ちる瞬間を目撃してしまったそうだ。ほんの一二秒の出来事だ。
これが二日前で、その時のショックで、「それからまったく眠れぬし、体調も悪い」、とのこと。
ユキコさんは、N湖の近くに住んでおり、私がご供養のため、幾度もN湖を訪れていたことを知っている。
私が度々、幽霊を見たり、撮影したりし、「あの世」を観察していることも承知しているので、「生き死に」に関わることであれば、私に訊こうと思ったらしい。
ひとが自死する瞬間を間近に見たので、心因性のショックを起こしている。それで具合が悪い。ユキコさんの現状はそういうことだ。
看護師なので、日頃より「生き死に」は見慣れているだろうが、自然死とは違うので、受け止め方がまるで違う。
こういうのは、純粋に「こころ」の問題だから、私の出番はないのだが、それなら、気持ちを落ち着かせるだけで「改善に向かう」ということでもある。
「何も起きないから大丈夫ですよ」
その自死者は、縁も所縁も無いひとで、たまたまその場に居合わせた。それなら、亡くなった方のために、ご供養を心掛ければ、それで自分の気持ちが落ち着く。
「ご供養の基本は対話なので、水を供えて、『安らかに眠ってください』という言葉を添えるだけでいいです」
敬意を示し、見送る姿勢を持つだけで、自分自身の気持ちが落ち着く。
一方、「気に病む」と、心が波立つから、そこに隙間が生まれる。
喜怒哀楽のうち否定的な感情は、振り子のように心を揺らすので、あの世の者が入り込む隙間を与える。この場合のあの世の者とは、自死した者とはまったく関わりのない別の者だ。
幽界はこの世と同居しているから、幽霊はどこにでもいる。だが、この世の者から、あの世の住人がよく見えぬのと同じように、先方からもこちらを認識するのは難しい。それが出来るのは、同じような感情で気持ちが揺れている者、そしてそういう時だけ。
私などは、あの世と接点を持ちやすいし、元々短気だから、次から次へと幽霊がやって来ては、背後に立たれる。
しかし、相手を認識し、自分のこころの外に排除すれば、寄り憑こうとした者は自ら去って行く。
てなことは、もちろん、ひと言も伝えずに置いた。
混乱している時に細かい話をしてもあまり意味がない。
混乱の度合いが増すだけ。
「別段、特別なことが起きるわけではないから気にしなくとも良いです。仮に何が起きても、俺が対処しますから大丈夫ですよ」
「大丈夫」は魔法の言葉だ。
「必ず自分を支えてくれる」という者がいると、気持ちが落ち着く。
自分にとって、父や母、師匠や先輩たちが「支えてくれる存在」で、そういう人たちに励まされたり叱咤されることで、気持ちが落ち着いた。
帰り際に挨拶した時には、ユキコさんの表情が明るくなっていた。重石が取れたということだ。
いつの間にか、自分も「支える」側の立場に立っていた。