日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎人生が激変した人

人生が激変した人

 この三年で、それまでとは暮らし方や生き方がガラッと変わった人がいる。

 私自身もその一人だが、私の場合は、それより十数年前に持病を得たところが分岐点だと思う。

 家人の知人には、コロナ前には事業をやりつつ、投資で儲けて、ベンツやBMを複数台持つ暮らしをしていた人がいる。

 そこにコロナで、まず客商売が左前に。

 そこから株の投資の方もうまく行かなくなり、総てを失ったそうだ。

 最近、生活保護を受給するようになったが、外車を持ったままでは無理なので、それも処分したとのこと。

 

 これと似たようなことがバブル崩壊の時にあった。

 コイン屋さんの店頭で店主と話をしていたら、七十台くらいの男性が来て、「これを特別に売ってやる」と言う。

 その男性が出したのは、開元通寶に金色のペンキを塗った品だった。

 店主のオバサンは、「これは買えないから、また今度ね」と受け流していた。

 男性が帰ってからオバサンが話すには、バブル崩壊の前には羽振りがよく、本物の金銭や銀銭を沢山持っていた人だとのこと。

 息子が証券会社に勤務しており、その息子の勧めで株式にも多額の投資をしていおり、バブル期にはかなり儲けた。

 しかし、あの崩壊が来て、家屋敷を全部かたに取られ、アパート暮らしになってしまった。

 そこで精神的なカタルシスが起き、銅銭にペンキを塗って、コイン屋に来るようになった。

 

 人生のうちに幾度も上がり下がりは来る。

 良い時期悪い時期の波が必ずあるから、それが一番下にある時に、どう立ち向かうかが大切だ。

 

 明治岩手の豪商、瀬川安五郎は、若い頃に「御一新」を経験したが、親の代までの資産はその時に無くなった。

 茫然と暮らしていたが、盛岡の街外れに、まだ穿ける草履が沢山捨ててあるのを見て、これを拾った。

 ちなみに、旅人は街に入る時には、新しい草履とはき替えて中に入るそうだ。「人に見られた時に恥ずかしく思わぬように」という気持ちからそうした。 

 安五郎はその草履を拾い、街中に持って行き、安く売った。

 元手がゼロなので、ここは安く売れる。

 その売り上げをタネ銭として、近隣の百姓家から卵を買って、街中の料理屋に卸した。

 これを繰り返して、十年後には商店を構え、二十年後には銅山を買うまでの商人になった。

 最盛時には、「赤銅御殿」と呼ばれる豪邸に住み、政治家(原敬ら)や文化人と交流を持った。

 だが、大豆の相場でしくじり、再び無一文になった。

 最後は、自分用の茶碗と箸だけを持って、赤銅御殿を後にしたそうだ。

 その後、夫婦で掘っ立て小屋に住み、そこで人生を終えたが、しかし、ずっと泰然としていたということだ。

 

 安五郎の「ま、こんなもんです」という高笑いが聞こえそう。

 「勝負師」はえてしてこんな感じで、勝つも負けるも平然としている。

 元がゼロからだと思えば、元に戻っただけのこと。

 それなら、また積み上げればよいだけで、どん底から先、上に上がる分は総てが勝ち分だ。

 生きて行く上で、失ってしまうものなど無く、総てが経験であり、儲けだ。

 どんな時でも「堂々としている」姿勢はよいと思う。