

◎病棟日誌 「悲喜交々」3/16 誰もいない病棟
この日は眼科の受診日。ひと月前から朝イチの予約を入れてあるので、八時半頃に受付の前の長椅子に座った。一人目か二人目の患者になっても、眼科の診察は長く掛かる。これはどこの病院でも同じで、一人ひとりの診察時間が長いから。名医の場合は、さらに長くかかるそうで、治療があったりすると一日がかり。
私は薬で瞳孔を開いて、医師に確認するための診察を受けるだけだが、それでも二時間はかかる。それで済めば「今日は早いな」と思うほどだ。
三月で病院の人事(入れ替え)があったようで、初めての若くて可愛い看護師さんに点眼して貰った。
この病院には六年くらいいるが、いまだに初見の看護師が沢山いる。ま、割合、入れ替わりのある職種でもある。
自分が「老いたな」と思うのは、若い娘を見た時に、咄嗟に父親の立ち位置になっていることだ。若くて可愛らしい看護師がウエディングドレスを着ている姿を想像したが、その場で私は傍らに立っている。視線が親かあるいは祖父ということ。
点眼は一度では済まず、瞳孔が開くまで二度三度かかる。これに一時間。
その間、じっと待っているのだが、前が霞んで来るので、スマホも見られない。
座っている間にウトウトした。
すると、長椅子の隣のスペースに、誰かが座る気配がした。
かすかな動きから、それが体重の軽い、だいたい四十キロくらいの人だと分かる。
「あ、これは」
お袋だな。
母の晩年には、よく病院への送り迎えをしたが、待合室のロビーで隣に座った。
母がトイレに行き、戻って来た時に椅子に座るその質感にそっくりだ。
隣に眼を向けたが、誰もいない。
ま、今は「隣の人と間隔を空けて下さい」の紙が置いてあるから、患者は間を詰めて座らない。
居眠りしかけていたのだが、閃きが強かったので、パッと眼が覚めた。
「明日はお袋の命日だ」
今年の命日も彼岸にも墓参りには行けない。
そのことは郷里には伝えてあるが、母の方が来てくれたか。
ま、この母の幻影を生み出したのは、私自身の心だろうと思う。
すぐに兄にメールを打ち、私の分もお焼香をしてくれるように頼んだ。
「さっきお袋が来て、俺の隣に座ったから」
そう言えば、今朝、家族を送り出した後で、浴室で「がったああん」と音がしたので見に行くと、洗面器が床に転がっていた。
棚の上から落ちたわけだが、十㌢くらい横に動かさぬと落ちようがない。
あれもお袋なのか。
私はまたてっきり別の「誰か」だと思い、「音を立てなくとも俺には分かるから、あまり暴れぬようにしてくれ」と声を掛けた。当家ではこの手のことがよくある。
とはいえ、この程度ならぎりぎり言い訳が付く範囲だ。
診察が終わり、病棟に戻ると既に昼頃だ。これから通常の治療に入ると、それが終わるのは四時頃になる。治療自体がしんどいのだが、ただじっとしているだけなので気力を削がれる。
眼科のある日は病棟を出る最後の患者になる。
だが、出口に行くと、午後から来た入院患者が車椅子で迎えを待っていた。
あのお茶農家のオヤジさんもいたが、かなり苦しそう。表情も空気も暗い。
寄り憑きを遠ざけられる時期はもう過ぎており、程なく迎えが来る。
ここからあれこれ掻き回したら、苦痛が大きくなるだけだろうと思う。
もう手助けが出来なくなっているということだ。
こういうことにはTPOがあるから、「その時」にしかるべき処置をすればその後の展開は変わっていた。もっと正確に「この時に何をする」が見えれば、ささっと状況を改善させられるとは思う。
そう思う一方で、他人の「生き死に」には関わるべきではないとも思う。
そもそも、自己免疫力を覚醒する「スイッチを探して、それを押す」のは自分自身で行うべきことだ。
己のことは己で救うものだ。与えられるものではあるまい。
瞼を開き、耳を欹てれば、色んなものが見え、聞こえるのに、多くの者は「死への恐れ」から頑なに縮こまり、あの世を拒む。
画像は、誰もいない病棟。