◎病棟日誌 R060609 明日は我が身
朝、家人を駅まで送る時に色々と話をした。
「こないだ71歳の保安係の人が一時間以上遅れて来た」
元警察官で、用務員と保安係のような仕事をしているらしい。
ま、学校に不審者が入り込んだ時の対策ということ。
その遅れた理由が「朝目覚めたら、その日自分が何をするか分からなかった」。
どこかへ出かけて、何かをしなくてはならぬが、それが何か分からない。
数十分間考えて、ようやく「小学校に勤めていた」ことを思い出し、慌てて家を出たらしい。
「それじゃあ、あと少しで防災放送モノだったな」
家を出たが、自分がどこにいて、何をしようとしていたかを忘れてしまう。そればかりでなく、自分の家も忘れてしまう。
かくして「ボーサイ※※です。※※※※さん71歳の行方が分からなくなりました」というアナウンスが流れる。
もっと酷くなったら、自分が誰だったかを忘れるのだろうな。
「71歳」なら、はるか「遠い未来のコーレイシャ」じゃねえぞ。そんなに遠くない。何せ50歳を過ぎてからは、時間の経過が新幹線よりも早い。
さて、病棟に行くと、ユキコさんが問診に来た。
そこで、「壁際のベッドが空いたら、そこに移りたい」と伝えた。ベッドを起こし、そこで原稿を書けば、それで時間を潰せるし、幾らかは足しになる。
ま、5時間拘束のうち、使えるのは2時間くらいだ。
すると、ユキコさんがこう答えた。
「Aさんのベッドはどうですか」
げげ。Aさんは戻って来ないのか。
このところ姿が見えないが、他病院に入院しているかリハビリ施設に行っているもんだと思っていた。
普通は数週間で戻って来るなら、そのままそのベッドを空けて患者を待つ。一時的に使うことはあれ、別の患者の指定ベッドにはしないもんだ。
良からぬ想像をしてしまうが、ほぼ早期入院の患者だし、その後に収まるのも縁起が悪い気がする。
「いやすっかり壁際のベッドにしてください。視界に人が入ると集中出来ないのです」
この日は検査日で、治療の後、心電図やレントゲン検査を受けた。何か立て込んでいたらしく、検査室の前の長椅子で十分以上待った。
検査室は救急救命室の前だから、長椅子には、急患の家族が座っている。これは表情を見れば一目瞭然だ。
当方の隣には、五十台くらいの女性がいたが、心許なさげで視線が泳いでいる。
「ああ、ダンナさんが倒れたのだな」と分かる。
それまで病気をしたことの無い人が倒れると、周囲は対応の仕方が分からずオロオロする。
入院の手続きとか、保険の取り扱いとかを家族が進めるのだが、「どうしますか」と周囲に訊いているようなら、まだ危機的状況ではない。
重篤で生命の維持が危うい患者の場合は、家族はただ狼狽えるだけ。
だが、患者がダンナさんの場合、奥さんは割としっかりしている。逆の場合、ダンナは狼狽し親族に電話をかけたり立ったり座ったりで落ち着かない。ま、夫が年上のことが多く、先に奥さんが倒れるなどとは思ってもみなかったことによる。
ここで家人の言葉を思い出した。
「トーサンは私が先に死んだら半年持たないよ」
いつも当方は即座に「そんなことがあるわけねえだろ。お前が先に死んだら、すぐに若い女性と再婚する」と答える。
半分は真実で、家人が先に死んだら、当方は「半年持たない」どころか「三か月持たない」と思う。
何だか癪に障るので、家人には絶対に言わないが、それが悲しい現実だ。