日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 R060609 「幽霊の触感」

◎霊界通信 R060609 「幽霊の触感」

  幽霊の普段の外見は「煙」で、これが時々、人の姿に実体化する。

 その意味では、姿が見えるから「いる」、見えないから「いない」と考えるのは誤りで、ほとんど目には見えない。

 気体に近い存在だが、波のように外部に力を及ぼしたりもする。力学的な作用をもたらす場合があるということだ。

 幽霊が人の体に触れた時に、人体の方でもそれを知覚することがあるが、その典型的な「触感」は「蜘蛛の糸」だ。

 肌に直接あたった時の感触が、まさに「蜘蛛の糸」に触れた時のよう。

 もちろん、手足の皮膚のように感覚の鈍いところでは感じ難いし、服の上からでは分からない。

 唯一、顔にかかった時などに、それを感じ取ることがある。ゼロコンマ下グラムの重量だから、ほんのわずかな触感だ。

 

 最近、昔の画像を点検しており、思い当たるものを見付けた。

 画像は令和元年のもので、神社の窓ガラスに映る私自身の周囲を撮影したものだ。

 既に夕方五時前で、薄暗くなって居り、周囲には誰もいない。

 だが、ガラス窓には、私の前に老婆が立っていた。

 私の前だから、そこに人がいたかどうかを見違えることはない。 

 疑いなく、これは物的に存在しない人、すなわち幽霊だ。

 

 この時、この老婆から少し離れたところに、「光の筋」が映っている。

 まるで稲妻のようでもあり、ガラス面の傷に光が反射したもののようでもある。

 だが、ここに傷が無いのは、幾度も確認済みだ。

 この「光の筋」が、「蜘蛛の糸」の感触の原因ではないかと思う。

 たぶん、幽霊が実体化する時の「付帯的現象」で、煙玉(世間でいうオーブ)と似た性質を持つのではないか。そのこと自体は自然現象だが、霊的な変化に伴って付帯的または派生的に発生した。

 

 ちなみに、これをもたらしたのは老婆ではなく、その背後にいる若い女性のようだ。

 姿勢や位置(空中にいる)で考察すると、たぶん、自死した者で、女性が着ている服は看護着(ナース服)だ。

 今気付いたが、神社の境内で「自死看護師」は如何にもそぐわぬ人物像なので、もしかすると、病院に関わりのある者が連れて来たのかもしれない。

 この時、その場に居た者でそれに該当する者は私だけ。そもそも一人しかいない。

 私が連れて来たのかもしれぬ。