日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎二時に目覚める

二時に目覚める

 私と同じくらいの年齢の人では、「毎日、夜中に目覚めるようになった」とこぼす人が多い。

 更年期を過ぎた者だけに、身体バランスが崩れるのが主な要因だろうが、もちろん、「老化」が関係している。

 私の場合は枕元に「癒し水」を供えると、その夜はぐっすり寝られる。四時五時に目覚めることもあるが、それくらいなら当たり前だ。

 昨夜は癒し水を供える前に眠りに落ちたのだが、三時頃に目覚めた。悪夢を観ていたわけではなく、自然と眠りが浅くなり、目が覚めた。

 同じような症状の人にも「癒し水」を勧めているが、効果の無い人もいる。

 ま、「あの世の存在を疑っている」のなら、ただの心を伴わぬ儀礼だから、役には立たぬとは思う。

 二頃、マスコットバットをおざなりに軽く振っていても、いざバッターボックスに立ったら、ピッチャーの投げる球など打てやしない。

 

 「肉体の死は終わりではなく次がある」

 「死後の方が長い(場合もある)」

 みたいなことを確信するのは、毎日、「誰かが脇に立つ」のを感じるからだ。

 台所にいる時に「カウンターの陰に人影を見る」と、これまで幾度も記して来たが、今年はさらに近くなり、「すぐ隣に立たれる」ようになっている。

 ひととの気配があるし、視界の隅に「空間の歪み」が入る。

 

 今年一年の成果は「アレ(幽霊)が近くに来た時の体感症状」のは判別がつくようになったことだ。

 過去において、「蜘蛛の糸が触る皮膚感」や「死者の匂い」を感じていたわけだが、境界線を意識したことが無かったし、判断も出来なかった。

 今年は名実共に「九死に一生」を得た年だったが、何とか死地を脱することが出来たし、加えて「もう一段先」に進むことが出来た。

 その分、煩わしさが増える面もあるが、怖れをあまり感じない。もちろん、畏れ(畏敬)は感じる。

 

 今年最大の変化は「あの世仲間が戻って来てくれたこと」だ。「白い着物の女性」は猫のトラと一心だから、「トラが戻って来た」のと変わりない。トラは私の命の恩猫で、必ず私を見ていてくれた。

 肉体には肉体の独立したルールがあり限界がある。いつまで生きられるかは分からぬが、常に「前進」を心掛けようと思う。

 これが今年の総括であり、来年に向けての抱負だ。