日刊早坂ノボル新聞

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◎一足早い元朝参り(7)

一足早い元朝参り(7

 娘は今日まで仕事らしい。休みは大晦日と元日だけ。

 駅まで娘を送ったが、さすがに人はまばらだった。

 そこからゆうちょに回り、年末の抽選会の賞品を発送した。

 色んな人に「ちょっとした幸運」を振り撒くのは、ほんの少しだが、この世の滞在期間を伸ばす効果がある。言い方を替えると、寿命を「数日分けて貰う」ようなものだ。

 だが、それを念頭に置いて、例えば人助けのような振る舞いをしても、あまり効果がない。「自分がこうすれば、こういう恵みがあるだろう」と考えるのは、既に善意からではなくビジネスだ。見返りの無い提供や奉仕をする時だけ、まったく別のところで幾らか返してくれることがある。

 

 ゆうちょを出た後、パッと思い付いて、八幡神社に向かった。元朝参りには行列が出来るだろうし、私は心臓病患者なので、外には長くいられない。次に参拝出来るのは、たぶん、正月の十五日過ぎになる。それなら、今のうちに今年一年の御礼をして置こう。

 年間百五十日はお寺か神社に参拝参詣するわけだが、「箇所」ならたぶん二百か所を超えている。

 既に半死人だから、心と体のだけでなく魂のコントロールが難しい。

 朝のまだ七時前だったが、拝礼の前後に数枚撮影した。

 この神社も本殿近くの社務所の入り口が硝子窓だ。東向きならなお良いのだが、本殿は西、社務所は北を向いている。撮影して「あの世」を見るタイミングは一日のうちでごく限られた時間しかない。

 TPOが合わぬと、何かが現れることはない。

 朝なので、本殿は逆光、社務所は左手からの光になる。

 それなりに私を含む景色だけ写る筈だったが、ガラス窓の時だけ、画面が白濁した。

 ま、この日はスマホ撮影だし、機器の方が合わぬ。

 もちろん、「突然の異常」には注意が必要だ。画面が流れたり歪んだりするのは物理的理由、機器や環境が原因でも起きる。あるひとつの静止時点だけなら、幾らでも「たまたま」だったという物理的根拠が見付かる。科学信奉主義の人なら「それみたことか」と見て来たようなことを言う。

 だが撮影環境を動かさずに数十枚連写している中に、一枚だけ異変が生じているなら、「何か別の要因」を視野に入れる必要がある。

 滅多なことでは起きぬのだが、日頃より注視していると、次第に頻度が高くなって来る。

 これは時々記す通り、「見てくれる者、聞いてくれる者を幽霊が好む」傾向があるためだ。

 「気にしないのが一番だ」というのは、それが「寄り憑かせぬ手立てのひとつ」だということだ。

 だが、頭のどこかにその存在を念頭に置き、「死者に常に敬意を払う」ことを忘れぬこと。

 好奇心や功名心で幽霊に近づくのは、愚か者のすることだ。

 そもそも、幽霊は特別な「スポット」だけにいるのではなく、そこいら中にいる。今どの人の後ろにも幾体か立っている。ただ、直接影響することがなく、それと気付かぬだけ。また、幸いなことに普段は気体のような霧・煙のような存在だから、殆ど自覚することはない。

 

 白濁した画像だが、何千枚と画像を見ていると、何となく分かることもある。

 例によって、背後にはイリス(女の悪縁)が従っているが、すぐ左手には、「白衣観音」がいる。

 ここまで白濁していると、「思い込み」かもしれんが、それはそれでよい。

 私の腹には煙玉が出ているのだが、これは体機能の巡りが悪いことから生じるものだと思う。

 私には心臓と腎臓に持病があり、これはもう治らない。

 ま、同じ場所なら「現状のまま」で、別の場所なら「別の理由」もしくは「別の病因」になる。

 私の境遇なら「現状のまま」なら、それは「良い状態」ということだ。

 

 この日は境内にある八意思兼神社にも参拝した。

 この社は「太子さま」と言って、聖徳太子を祀るものらしい。

 今年一年のお礼を述べ、神社を後にした。

 

 中高年齢には幾つかカタルシスの来る時期があり、その一つは「仕事を辞めた後」、要するに定年直後に起きる。とりわけ男は、仕事が心の支えになっている場合が多く、定年後に家にいるようになり、半年後くらいにふっつりと自死してしまうケースがある。

 自死の原因には、高年齢者の「病苦」や青少年の心のバランスの欠如の他に、「生き方の柱を失う」ケースがある。どう生きるかが見えなくなり、「自分にはもう居場所がない」と感じるようになる。

 そういった時に、それまで黙って見ているだけだった者が背後から囁き、背中を押す。

 それを回避するには、別の仕事でも趣味道楽でも良いから、「ひたむきに打ち込めるもの」を用意して置くと、心の修正が利く。知人には、定年後に楽器を始め、数年でプロはだしに達した人がいるが、この場合は、他者の評価などはどうでもよい。生きて行くための柱として必要だから、自らがやれることをやるまでのことだ。

 あとは、ほんの少しだけ、「自分が考えることは、自分本来の考えではないかもしれぬ」ことを頭に置くことだ。想定しているから、対処が可能になるのであって、無防備で心構えもないのであれば、なす術もなく囚われる。

 

 長い間、雌伏の時期を囲って来たが、今は幾らか心臓の調子が良く、ソコソコ原稿が書けるようになった。何年ぶりなのかはもはや忘れるほどだ。

 人事では苦戦が続くわけだが、心は暗くない。

 

 さて、私の左後ろに立つ「白い着物の女」については、今のところ「白衣観音」と呼んでいるが、元は祈祷師であり修験者だから「※※女」と呼ばれていたようだ。もちろん、想像や直感の話だが、過去の私の物語に「※※女」という巫女が幾度も登場して来たことと無縁ではないようだ。