日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 R060610 幽霊の姿を捕まえる

霊界通信 R060610 幽霊の姿を捕まえる
 先週の日曜にはどうにも体が重く往生した。ほんの十度あるかどうかの緩い坂を登れぬ状態で、小一時間もベンチで休んだ。
 それからちょうど一週間が経過し、ようやく体が少し軽くなった。「全身に七八十もの手がかかっている感じ」からようやく「三つ四つ」まで戻って来た。それなら普通だ。

 少し機嫌がよくなり、月曜はセルフチェックのため八幡神社に参拝した。
 境内に入ったところで、「可能な範囲で助けてやるから、姿を見せろ」と声に出して言った。
 カメラのファインダを覗くと、この日は小雨日和だったせいか、水煙が出ていた。湿気が多い時には、光がそれに反射して煙のように写る。
 だが、画像を開いて見ると、水煙の中に少し動きのあるものが出ている。
 「あれあれ少しおかしいぞ」


 うねりのある煙の周辺を拡大すると、気になる箇所が幾つかある。
 ①壮齢の女性と他に二体くらいの人影に見える。ただこういう色のは、背景色が「たまたまそう見えた」ことが多いから、判断は保留した。
 ②は煙玉のように見えるが、これも壁の汚れの濃淡で、時々「それっぽく見える」ものがある。
 ③は景色から浮いた煙があり、高齢の男性の姿にまとまっている。マスクをしており、病気で死んだ。たぶん、コロナ感染。煙を見た時に「拡大して確認してみよう」と思ったのはこの位置だった。手前にも若者みたいな人影がある。
 視覚はあまり信用できないが、高齢男性については、たぶん、そこにいると思う。
 「助けてあげる」が効いて、出て来たか。


 次に社務所の前で、ガラス窓に映る自分自身を撮影した。
 ファインダを覗いた時点で、人影が私の真ん前に立っているのが分かった。
 こちらはほぼ100%疑いない。
 こういう時には、むしろ画像の方が不鮮明なのだが、画像にもきちんと半透明の女性が写っていた。
 スカートスーツを着た若い女性で、私の右胸に顔を寄せ胴に手を回している。簡単に言えば「しがみ付いている」ということだ。
 服装とスタイルで女性と分かるが、拡大すると、やはりほっそりした女の子だった。この女性は前に見た「スーツの女性」と同一人物だと思う。どこからか「助けて」という声が聞こえる。

 
 するとこの辺の煙は水蒸気ではなく霊霧だ。霊霧は重層的に構成されているから、深さの違う層に着目すると、真っ先に目に入るのが、男の顔だ。五十歳くらいで、如何にもサイコパスの表情をしている。
 男は左腕にナイフを持ち、女の子に襲い掛かろうとしている。
 ナイフはちょうど私の股間付近で光っている。
 ここは私にしがみ付いた手を離させるために、女の子の腕を切ろうとしていると思う。
 ちなみに、コイツは国鉄の事務系の仕事をしていたと思う。JRではないから、かなり昔のヤツだ。

 この男の肩にももう一本の「別の腕」がかかっているが、男は背中に悪縁(霊)を背負っており、そいつが男の犯行をけしかけていた。同類は同類を呼び、さらに先に行かせようと背中を押す。
 神奈川県Z市で、十人くらいを殺害した若者の背中には、たぶん、こう言う奴が乗っていた。
  そうでなくては、平然と人をバラバラにしたりなどは出来ない。
 (ここで不通電話が鳴った。)

 この男と同じ層(深さ)には、左手前に女がいると思う。
 画像的には、前二者ほど判然とはしないが、眼を離してみると、壮齢の女性のように見える。
 幽霊には肉体が無く、自意識が輪郭を形成する。これが崩れているのは、自意識が崩壊しつつあるということ。
 一方、この女性は、最初の画像の①の女に似ている。
 まだ判然としないが、もし同一なら、①はたまたまではなく、きちんと自己主張をしていたことになる。
 こういうのは見た目だけでは判断できない。視覚はそれ単独ではあまり信用出来ない。

 「スカートスーツの女の子」は、この子に執着する男によって殺されたと思う。その時の死に間際の恐怖心があまりにも大きいので、死んだ後も「助けて」と叫び、逃げまどっている。
 「ナイフの男」は恐ろし気な表情をしているが、存在感が薄いので、この子が恐れのあまり創り出した影かもしれない。

 あの世(幽界)は、自我(幽霊)を取り巻く外界が「主観的に構成される」という一面がある。自分を襲った男を怖れる気持ちが大きいと、その恐怖心から、その恐怖心の対象(男)が実体化して女の子の前に現れる。男はかたちとして見えるが、しかし、幽霊の持つ心象によって作り出されたイメージだ。
 ただ、男の背中に乗っている者の影も見えているから、今も男と女の子は幽界の中で追いつ追われつを繰り返しているのかもしれぬ。

 「助ける」と約束したので、これから繰り返し、あの子にご供養を施す。男がただのイメージなら、女子の恐怖心が小さくなれば消えると思う。そうでないなら、ストーカーオヤジとの戦争になる。

 この日は「また幽霊の姿を捕まえた」と確信したが、この根拠は神社の帰路に「もう死んでしまいたい」「死んでも良い」という声が聞こえたということがまず一点目だ。
 帰宅すると、今度は理由なく悲しくなり、涙がこぼれて来た。
 涙をこぼす理由などまったく無いのだが、悲しみが急激に膨れ上がり、号泣していた。これが二点目。
 号泣したのは、私ではなく、私について来た別の者だ。

最初の「死んでしまいたい」はあそこにいた誰かだろうが、恐怖で号泣したのは、スーツの子だと思う。

 さて、あの世を解明する次のステップは「交信」だ。
 幽霊は頭で思考することのない「感情だけの存在」だから、かなり厄介だ。

生きている者でも、感情に振り回される人間は「扱いに困る」わけだが、幽霊の場合は、そもそも理性を失っているから、人間の何倍か面倒臭い。理屈が一切通らない。

 ところで、昨日、不意に両掌に「子どもの手」の感触が滑り込んで来たが、両方とも「お稚児さん」だったと思う。あれは、スーツの女の子を「助けてやってくれ」という示唆だったのかもしれん。   

 

追記1)ガラス窓画像で、私の股間にちょろっと見えているのは「ナイフ」であって、「チン※」ではない。神社でイチモツを出すのは、中国人だけ。中国人は恥を知らぬ民族なので、平気でそういうことをする。他国の信仰施設を汚して平気なのは、中国人ともう一国くらい。ほれ、どこかの半島の。

 もちろん、天罰が下り、彼の国には酷いことが待っている。

 三十年前は「ただの野原」だったが、またそれに戻りたいらしい。ま、そもそも文明人ではない。

 

追記2)幽霊は「感情だけの存在」で、実態はほとんど気体に近い状態だ。

 物体として存在してはいないが、感情が凝り固まると、実体化して見える(可視化する)。人の心中が見えぬように、幽霊の姿を目視するケースは少ない。

 基本は「こころ」なので、鮮明に目視できるかどうかで「いる」「いない」を」判断すると、実態からどんどん遠ざかる。

 心は波のような性質を持ち、音と同じだと思えばよい。音叉は周波数が近似していると、離れていても共鳴(共振)するが、それと同じことが人と幽霊の間でも起きる。

 この日は、何ら原因が無いのに、悲しくなり号泣したが、もちろん、私自身の心境によるものではない。「助けて欲しい」と寄り憑いた女性の心境だ。

 

追記3)スーツの女は、地面に膝を着き、当方の胸元に頭を寄せている。
 それらしき感触があり、女の思念が声になって微かに聞こえる。
 これが先に立つので、画面を見た時にすぐにそれと分かる。

 逆に、当事者でない者は、この声や触感が伝わらぬから、画像を見てもピンと来ないし、実際、何も見えぬと思う。
 だが、「見えるからいる」「見えぬからいない」という判断は、ことあの世に関しては、何ら通用しない。