日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ワクチン接種の翌朝(後日談)

◎ワクチン接種の翌朝

 半日埼玉西部をぐるぐると回らされ、さすがに疲労したので早めに眠りについた。

 しかし、午前四時に「声」で起こされた。

 カラスの鳴くような「キャアアア」という甲高い声だった。

 これは私の頭の中だけで響いている。

 そこで、頭の近くに「癒し水」を置いて、暫く待つと、五分くらいで精神状態が安定した。

 

 世間的には「ワクチンの影響で、体が反応した」とする方が通りやすい。

 どうせ信じられぬし、追体験も出来ないからだ。

 ま、他人にはそう言うが、いずれ似たような経験をするだろう息子のために記録を留めて置く。

 

 こういうのは、「気のせい」ですよと笑って流すのが無難だ。

 同じ環境で確かめることは出来ぬし、「そんなことはないだろ」と否定すると、いつの間にか地雷を踏んでいることがある。

 死者に不敬を働くと、「よくないことが起きる」のは、昔から言われて来たとおりだ。

 けして「黙祷を邪魔するために、一斉に鐘を鳴らしましょう」みたいなことをやってはダメだ。どんな理屈があろうと、この世の理屈とあの世のそれは決定的に違うことを知るべきだ。

 「墓を汚す」と、子や孫に報いが降り注ぐ。

 

 画像は神社での最初のもの。どんな人の後ろにも幾体かが従っている。

 その時々の心の状態で、相手は替わる。どういう素性かは分からないし、あまり想像や推測を語っても意味はない。そもそも、いわゆる「霊感」は五感の反応と想像で成り立っている。特別な能力などではない。そういうのは存在しないのだ。

 誰の身にも起きているので、このこと自体には、何ら問題はない。

 煙の後ろを見ようとする人は少ないので、気にしないでよいし、「気のせい」と思うのが無難だ。自分を見てくれる者がいると、幽霊は喜んで寄り憑く。

  一定の年齢に達したら、ある程度の準備をする必要があるが、それまでは「気にしない」こと。だが、たかを括ったり、不敬を働いてはならない。人知などとるに足らぬものだ。

 

 私は今年も命に係わる経験をしたので、「先んじて手を打つ」ことを習慣としている。ただそれだけのこと。少しでも疑わしければ、先回りして手段を講じる。

  この構えがあるから、今も生きていられる。