日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎謝りに行く(477)

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1月29日撮影

◎謝りに行く(477)

 前回、多少なりとも不敬を働いたような気がする。

 いつも写真を撮る時には、「撮らせていただきます」。後で使う時には、「この世の者にとってなにがしかの助けになるかもしれませんので、画像を使わせてください」と祈願するのだが、前回は忘れていた。

 誰でも、いきなり自分のことをバシャバシャと撮影する者がいれば、その相手に腹を立てる。

 「大変失礼しました」

 陳謝し、いつも通り、断って撮影した。

 

 この日は「シャイニング」もなく、平穏になるはず。

 帰宅途中で開けて見たが、やはり少ししか出ていなかった。

 このうち典型的な出方をしているのは、一番上の黒いシルエットだ。

 隣には、建物の中にいる女性の後ろ姿が写っている。要するに同じような影が並んでいるわけだ。

 よくありがちなのは、「ここにガラスの継ぎ目がある」というものだ。

 ところが、継ぎ目は右側で、ここには無いから、「二重写り」はあり得ない。

 要するに、上から下への縦の境界線は、外の柱が写っているのだ。

 そもそも、左側の影はこっちを向いているわけだし。

 かたちや状況が、自然のものに似せてあることが時々あり、多くは見逃してしまう。

 一昨年の旅館で撮った画像でも、私とガラスに映る私が同じ向きを向いていたものがあった。カメラとガラスの中間に私がいるなら、私とガラスの像は逆を向いている必要があるのに、両方とも同じ向きだった。

 ま、こういうのは、気にする必要はない。

 救われたくてここに来ているのだから、執着心を解けば、いずれ楽になる。

 

 この日は特に問題がなく、「気のせい」の範囲の曖昧な画像だった。

 これで結構。

 帰宅して、仮眠を取ったが、起き掛けに観た夢は、前回と同じ状況で「努力しよう」という声が聞こえ、文字が出た。

 どうやら許して貰えたらしい。

 こういうのは、迅速に対応し、問題を取り除けば、たちまち心が晴れる。

 

 繰り返しておくが、あの世の者は専ら心に働きかける。

 悪霊が取り憑いても、ほとんどの場合、映画や小説のようなことは起きないが、心を暗くし、重くする。あるいは怒りを助長することもある。

 すぐに察知して、原因を取り除けば、どういうこともない。

 霊的なものを極端に恐れ、すぐにお経や祝詞をもって打ち払おうと考える人がおり、それを助長する霊感師もいるが、お祓いは念で相手を退けようとする行為だから、あくまで最後の手段だ。

 通常は、相手との間にきちんと線を引き、「お互いに踏み越えないようにしよう」と言えば、特に問題は生じない。

 いつも書く通り、「恐怖心を抑えること」と「きちんと敬意を払うこと」を守れば、大きな問題には至らない。

 相手の事情を考慮せず、いきなり殴り掛かれば、どんな相手でも腹を立てる。

 それと同じで、まずは対話だ。

 

 生きている者は合理的に思考し、判断することが出来る。

 先入観を捨てて、まずは合理的に考えることを旨とすべきだ。

 大半は「気のせい」や「思い込み」で済ませることが出来るし、その先も「想像」や「妄想」の範囲であることが多い。

 いずれ自身が進み入る道でもあるのだから、冷静に受け止めれば、どうということもない。