日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霧の中(616追加)

f:id:seiichiconan:20211108140912j:plain
f:id:seiichiconan:20211108140902j:plain
f:id:seiichiconan:20211108140842j:plain
令和三年十一月七日撮影

◎霧の中から(616追加)

 616では、撮影者(私)には意味があるが、他の人は何ら関係のないものを除外している。そもそも、極めて不鮮明なので、煙(幽界の霧)の中を除き見る練習をしていないと、何が何だか分からない。

 私も目視するのはしんどいが、その代わり、5年以上、6百回は同じ場所、同じ撮影位置で撮影しているので、何がどのように見えるかは承知している。構図を覚えているので、あるべきもの、ある筈の無いものが分かる。

 いつも同じだが、異変を捉えるのは、最初の一二枚のことが多い。

 前回は省略したが、掲示は最初の一枚になる。

 

 撮影はもはや習慣になっているので、まずは普段と同じポイントに立ち、四方を見渡して、どこに人がいるかを確かめた。

 この時、神殿の前には、私と家人の二人しかおらず、さらに三十メートル四方に人がいないことを確認している。

 最初は自身より前に人がいないことを示すために、遠景で撮るのだが、この角度では私と家人しかフレームには入らない。

 

 だが、画像を拡大し、窓を確認すると、そこに写った景色には、二人とは別の人影がうっすら見える。背後の屋根との位置関係からすると、おそらく階段の上、すなわち空中だ。

 人影はガラスの継ぎ目に立っているから二重映りしている。そこで継ぎ目を接合して、人影をひとつにすると、「ほぼ私の姿」だ。マスクをし、薄いサングラスをかけ、頭も同じ。

 ここ半年で、こういうのが増えたから、私はよほど気を付ける必要がある。

  

 一方、私の背後には、さらに不鮮明だが、「大きな女」がいると思う。

 これは何年も前から繰り返し出るのだが、これがどういう存在なのかは分からない。

 ただ、時々、画像に入る。もちろん、前後に何かが起きる訳でもない。

 「私もどき」の左側には、やや上に「眼」、下方に「右手」が出ている。

 右手は、肌色と黒い袖がうすらぼんやりと見えるだけだが、眼の方は割と実体化しているようだ。

 煙の向こうに「何かが蠢く」のを意識するようになったのは、数年前からで、割と最近だ。それまでも起きていた筈だが、それと意識していなかっただけのよう。

 現実には、「声」の方が頻繁に聞こえるから、そっちの方に気を取られる。

 

 声の方は、多く「助けて」「助けて下さい」だ。

 ホテルや旅館の「誰もいない隣室」から、こっちに呼び掛ける声が聞こえる。