日刊早坂ノボル新聞

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◎目まぐるしい一日(653)

令和四年十二月二十八日撮影

目まぐるしい一日(653

 狭心症の発症から一夜明けて、この日はワクチンの接種日だ。

 発症直後だけに副反応が出るかもしれん。

 モデルナでは割と強く出たので、以後はファイザーで通しているが、それとは別の問題がある。

 ファイザーで予約を確保できたのは、前回の診療所だけで、他の病院ではさらにひと月以上先になる。

 だが、前回は診療所の窓に自分を映したら、腕が三本も四本も出ていた。

 この近くに、結節点があり、幽霊が出入りしている。

 数週間前には、夢の中で女性(たぶん、白衣観音)に「行ってはダメ!」と叫ばれた。

 とはいえ、従った方がよいと分かっていても、これまで女性の忠告に従ったことはない。

 母や家人の苦言に頷いたこともない。

 もちろん、言い難いことや苦言を呈してくれる者が本当は「自分に寄り添っていてくれる人」だということは分かっている。

 頷けぬのは性みたいなものだけに仕方がなく、その結果、いつもトラブルを抱え込んでしまう。

 

 ワクチンを打って貰い、外に出てガラス窓の自分を撮影しようとしたが、たまたま道を通る人がいて撮影は出来なかった。

 「ま、いいよな。でろでろと出られると気が滅入るだけだし」

 だが、数歩歩き出すと、何だか「死霊の匂い」がする。

 「死霊の匂い」とは、お線香と樟脳、腐肉を混ぜたような嫌な匂いだ。

 幽霊が近くにいる時には、この匂いがすることがある。視覚よりも、触覚や嗅覚の方が確実だ。

 「程なく死ぬ人」にも特有の匂いがあり、これはお線香の匂いに近い。

 子どもの頃に、父の店の事務所に卸問屋の人が来ていたが、この人の近くを通ると、お線香の匂いがした。その時は何も考えずに、父に「あの人はお線香の匂いがする」と伝えたのだが、それからひと月も経たぬうちにその卸問屋の人は亡くなった。胃の調子が悪く、検査を受けたら、既に末期がんで、それが分かって数週間で亡くなってしまったそうだ。がんなのか、他の原因なのかは知らない。

 その後、父には「あまり人にそういう話をするな」と釘を刺された。

 このため、人の「生き死に」に関わりそうな話は避けるようにしている。

 

 ところで、診療所の前に立ち、「どこから匂いがするのか」を確かめると、それは何と自分の体から出ていた。それに気付くと同時に、左肩が急に重くなり、右の脇の下に鈍痛が走った。酷い症状だ。

 「あ、ダメだダメだ。こりゃ神社に行かぬと」

 昨日、狭心症の発作を起こしたが、純粋に病気が原因ではなかったかもしれん。

 たぶん、寄り憑かれているので、すぐに祓わねばそれこそ命に係わる。

 すぐに車に乗り、トラの神社に向かうことにした。

 ここからが「昔通った道」の再現だった。

 同じ市内だが、私の住所とは反対側なので、カーナビのスイッチを入れた。

 神社の位置は登録してある。

 発進したが、何だか別の方向に進んで行く。

 「何だかおかしい」と思ったのだが、不慣れな土地でもあり、案外近道を案内してくれることもあるから、その指示に従った。

 だが、全然、目的地の方向には向かわない。

 「ありゃりゃ。もしかして始まるのか」

 カーナビが正常に作動しなくなる事態は、これまで幾度もあった。

 (「カーナビぐるぐる」と呼んでいる。)

 連れて行かれる先は、先が崖とか墓地だ。あるいは同じところをぐるぐると回る。

 これが「今回も前と同じ」だと悟ったのは、カーナビが「次を右」を四回繰り返したことだ。

 その進み方なら、普通は同心円状の方向に回り、同じ場所から出られない。

 気が付いた時には、鶴ヶ島市内を走っていた。

 これはまったく逆方向になる。

 

 こういう時の対処法は「カーナビに頼らず、道路標識で進むこと」だ。

 一旦、川越方面に方向を変え、そこからもう一度自市に戻り、日頃よく知る道筋に入り直した。

 程なく神社に着いたが、十数キロで行ける距離なのに、一時間半も遠回りしていた。

 「要するに『行かせたくない』ということだな」

 神殿前で撮影したが、異変は画像を開いてみるまでも無かった。

 目視で自分の胸のところに女の顔が出ていた。

 ちなみに、目視で見える時には、案外、画像には残らない。この辺は光の波長の問題だと思うが、まだ解明出来ていない。

 車に戻り、画像を開いたが、ここでも異変が出ている。

 景色の著しい歪みがあれば、人影が見えるかどうのとは係わりなく、「何かが歪めている」という意味だ。

 「これは神社ではダメだ」

 昨日の発症の具合を見れば、一刻を争うのは誰でも分かる。

 悪意を持つ者が心臓を掴んでいるかもしれん。

 そこで神社を出て、お寺に向かった。

 幸いなことに、私には「あの世友だち」が各方面に沢山いる。

 こういう場合に必要なのは「お不動さま」だろ。

 お寺でお焼香をしながら、「ここで毎日ご供養を施して貰い、怒りを解くと良い」と諭した。

 本堂に向かう途中で自分の影を撮影したが、幸いなことに私の影はひとつだった。

 酷い時には、ひとつのお日様の下にいるのに、影が二つ出来る。

 幽霊は「精神」ではなく「物的存在」だから、ガラスの合わせ目で二重に映ることもあるし、影も出来る。この場合、物的と言っても、霧状のことがほとんどだ。

 よって、正確には「影が出来ることもある」という言い方が正しい。

 このことを「自称霊能者」の人たちは知らぬと思う。

 もちろん、TPOがよほどぴったり合わぬと、幽霊の気配(煙)さえ捉えられない。

 

 お寺の中でゆっくりと過ごすと、肩と脇の下の苦痛が軽減されて来た。

 「昨夜とは違う意味で、死ななくて良かった」

 体が軽くなると、心も軽くなる。

 お寺を出て、帰路についたが、途中で何となく炒飯が食べたくなった。

 「どこか町中華に寄って、炒飯を食べよう」

 普段の道を外れ、うろ覚えの道に入り、記憶のある町中華の方向に向かおうとした。

 この日はカーナビは無理なので、自分の記憶が頼りだ。

 だが、ここから再び、どういうわけか道に迷い、気が付いたらまったく知らぬ通りを走っていた。

 今度は自分自身の記憶違いだが、ほとほとウンザリ。

 ようやく「前に見たことのある道」に出たが、ちょうどそこは別のお寺の前だった。

 「なあるほど。ここにも寄って行けということだね」

 車を駐車場に入れ、この寺の仏さまに手を合わせた。

 

 この日は狭山から日高、鶴ヶ島、飯能をぐるぐると回った。

 まっこと目まぐるしい一日だったが、気にするな。

 あの局面では、それこそ「道の上で発症し、そのままお陀仏」の可能性があった。

 肩と胸に生じた不快感と来たら、言葉にするのも憚られる。

 

 一日が終わり、ようやく帰宅したが、納得した点もある。

 それは私がこのジャンルでは、そろそろ完成形に近くなったことだ。

 見聞きするものと推測することの精度が、かなり増して来た。

 見た目のかたちに頼らなくとも、聴覚、触覚、そして嗅覚で迅速に判断出来るようになって来た。

 程なく、いつでも「あの世」を出して見せられるようになると思う。

 ま、瞼を閉じ、耳を塞ぐ者にはどうせ何も見えず聞こえぬのだから、「助けられる者だけを助ける」という方針で良いと思う。

 元々、私や白衣観音が、そして立場は違うがアモンが重視するのは「自力更生」と「因果応報」だ。

 慈愛の方はお不動さまの持ち分ということでよろしく。

 

追記)やはり「行ってはダメ!」という声は正しかった。

 今日の一日を終えた率直な感想は、「いやはや、マジでヤバかった」だ。

 あの「死霊の匂い」を嗅ぎ取った直後の「肩と脇の下の鈍痛」と来たら、尋常ではなかった。心臓の調子は悪くないのに、狭心症が出ること自体がおかしな兆候だった。

 もちろん、これで終わるほど「あの世は甘くない」から、引き続きアンテナを張り巡らせる必要がありそうだ。