日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「蜘蛛の巣が髪にかかった感触」(613)

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令和三年十月二十五日撮影

「蜘蛛の巣が髪にかかった感触」(613)

 前日に稲荷に近寄ってしまったのだが、その場を離れる時、頭の右側の髪の毛に「まるで蜘蛛の巣がかかったような感触」がして、思わず振り払った。

 だが、やはり何もない。

 思わず、「うっかり拾ったか」と呟いた。これは昨日の記事に記した通り。

 

 翌日の今日、家人と共に、紅葉の進み具合を確かめに遠出したのだが、やはりまだ早い。

 そこで、蕎麦屋に寄り、蕎麦を食べて帰ることにした。

 蕎麦屋は感染対策で、各席にアクリル板を挟んでいる。

 席に座った瞬間、「これはガラスの前に似た環境だ」と嫌な予感がしたのだが、写真を撮りすぐに開くと、案の定、アレが出ていた。

 ここは視覚的には「気のせい」と「幽霊」の境目くらいだ。

 

 他の人は「これが幽霊かどうか」などとは考える必要はない。他人の問題は自分には関わりないのだから、私のことはどうでもよい。関りが無いのなら、「存在しない」のと同じことだ。

 だが、もちろん、私は違う。当事者だし、現に一日前に体を触られてもいる。

 「これが昨日、ついて来たやつ」であることを前提として、早目の対策を打つに越したことはない。

 

 お寺で拾ったなら、お寺ではダメだから、神社の方がよさそう。

 早速、すぐ近くに神社があったので、そこに参拝することにした。

 

 山道を上がって行くと、割と大きいらしい神社の階段が見える。

 だが、そこまでだった。

 「なんてこった。ここは稲荷神社じゃないか」

 私が最も苦手とする相手だ。前日の不首尾の原因でもある。

 

 すぐにUターンして、帰路の途中でいつもの神社に参拝することにした。

 この辺は、家人には一切説明していない。

 起きていることが不条理なので、説明しても分からないし、余計な怖れを抱かせるだけ。

 再び繰り返すが、こういうのは当人以外はまったく関係がない。

 説明もしないし、論評も不要だ。

他人事の立場の者から話を聞いているほど暇ではない。

 

 途中では、怒りが湧き上がって来た。

 画像では、どう見ても下級の相手だからで、せいぜい十両・幕下だ。

 だが、どこかの隣国人みたいに、さしたる理由なくぐだぐだと絡んで来ることがある。

 悪戯に邪魔を仕掛けるだけ。

 ああ、くだらない。

 本物の極道がリーズナブルな発想をするのに対し、チンピラは後先など考えない。

 ただ目の前の損得や面子だけを気にする。

 幽霊も隣国人も大差はない。 

 まずは丁寧に諭すが、聞き分けがないなら、叩き潰すしか方法はなし。

 

 「ご供養はするが、私は助けてやれない。今の境遇は自分が招いたものだから、自分で解決するしか道はない。こちらに関わろうとすれば撃退するから、近くに寄り付くな」

 要は、「自分の分限を守り、相手の領域を冒すな」ということだ。

 これは不浄の霊だけでなく、あの国の者たちにもきちんと伝えるべきだと思う。

 そしてその通りにすべきだ。

 分からせぬと、いつまでも寄り付いて、嫌がらせをする。

 

 神殿の前では、特に目立った影はなし。

 「蜘蛛の巣」のような触手を伸ばした者に関わるようなものは見えなかった。

 帰宅してからは、自身の言葉の通りにお焼香をして、ひとまずは慰めている。

 もちろん、今の闇を作ったのは、幽霊たち自身だから、自ら解決してゆくしか道はない。

 自分の心をよくよく見詰め直すことだ。

 

 ウェブやSNSで公開できるのはこの辺まで。

 現実を認識するのは重要なことだが、この先は余計な波及効果の方が大きくなる。

 いずれにせよ、問題は私だけに起きているので、悪縁たちと同様に自分自身で解決する他はなし。

 

10/26追記)「見えないからいない」「見えるからいる」と判断するのは見当違いだ。

 そもそも目に見えぬ領域にいるので、たとえ目に見えぬとも、充分に警戒する必要がある。こういうことの判断は、専らそれまでの経験による。けして能力などというものではない。 (そもそも、あの世に関わる「能力」など存在しない。推測、想像と妄想だけ。)

 早速、嫌がらせが始まっており、なかなかしんどい状況だ。お金が消えたり、知人友人はおろか、家族と仲が悪くなったりする。

 万事に渡って物事がうまく回らぬのは、「邪魔をする者がいる」ということ。