日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎好奇心でしくじる

好奇心でしくじる

 人間、好奇心に勝る誘惑は無い。

 徐々に快方に向かっているが、「こういう時にセルフチェックをするとどんなふうに見えるのだろう」と思うようになった。

 幸い、投薬が効いて既に陰性になっている。

 もちろん、木曜までは警戒期間なので人のいる場所は避けるわけだが、この地域では水曜が休日で、神社の社務所も閉まっている。

 社務所のガラスさえ見えていれば、それで十分だから、とりあえずいつも通り、ガラス窓の前で撮影した。なお他に客はいない。

 

 車に戻り画像を点検すると、まったく問題なし。

 いつもよりクリアに写っている。

 「なあるほど。今は体の問題が主だから、魂<心<技(行動)<体の順にイッシュウが占めているわけだ」

 納得して、車を発進させ帰宅することにした。

 それから、すぐ先の信号で一時停止したが、そこで何気なく左腕を助手席の肩に伸ばした。

 すると、肘から二の腕にかけて、「蜘蛛の巣が触ったような感触」を覚えた。

 「あんれまあ。こいつはお馴染みの寄り憑きだ」

 この一二年で幾度となく経験したから、あの世の者に触られた時の感触を熟知している。

 よく考えてみると、そうでなくとも「あの世に近しい者」が、わざわざ「生命力を落とした状態」で、「あの世の者が集まる場所に行く」という、いわば「鴨葱」の状態となっていたわけだった。

 

 帰宅して検索すると、やはりポイントは外鳥居の外側だった。

 お寺の山門や、神社の鳥居の外側には、割合多くの幽霊が集まる。せっかくそこまで来ているのに、中に入って参拝参詣すれば、浮かばれるかもしれんのだが、不浄な者はそこから中には来ない。

 中には来ないが、そこから出て来る者の後をついて行くことがある。

 そこでは、何十何百という幽霊が、自分と似た心持ちを持つ者が来るのをただひたすら待っている。

 かなり慣れぬと判別は無理だが、中学生女子くらいの足元に気付く人はいるかもしれぬ。

 確実なのは視覚ではなく、聴覚や触覚で、今思えばこの場所を去る時に小さな足音が聞こえたような気がする。

 

 ま、総てが純粋に「気のせい」のこともある。

 ここから先は数学の問題だ。

 説明は省略するが、結論は「疑いがあれば先んじて手を打ち、リスクを減らすのが合理的な選択」ということになる。

 

 ここの階段の下では、時折、煙玉が乱れ飛ぶのだが、あながち純粋な自然現象と言うわけでもなさそうだ。昔からある神社なので、かなり古いのも混じっていそうだ。

 ま、幽霊はどこにでもいる。

 画像の鮮明さなど問題ではなく、「蜘蛛の糸」がかかった感触を実際に得ているのだから、問答無用だ。

 迂闊だったが、「いるかもしれん時はすぐに手を打つ」ことが習慣になっているので、問題は少ないと思う。