日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「去年の敵が今年は友?」(646)

夕方なのであまり鮮明には写らないが、私自身はファインダで直接見ている。

◎「去年の敵が今年は友?」(646)

 三日月曜は所用が目白押し。おまけにねん挫した娘を病院に連れて行かねばならず、用事が終わった時には、四時を回っていた。

 帰宅すべく車を運転している時に、ふと思いついた。

 「やはり稲荷さま陣営と手打ちをして、関係を改善した方がよいかもしれん」

 ついでに手を組んで、「嘘」や「欺瞞」を垂れ流すこの世の者に「障り」を送れるようにすれば、幾らかなりとも役に立つ。

 呪詛を使えば自分に跳ね返るし、念を使っても「穴二つ」だ。だが、あの世の者を送り込む分には障りが生じない。

 なら、「昨日の敵は今日の友」式で、稲荷さまに交渉に行こう。

 今年の神無月は十月二十五日からだから、それまでの間なら、地神の監督が周囲に及ぶはずだ。

 「そうだ。そうだ。それで行こう」

 稲荷に向かって進み始めたが、途中で考えを修正した。

 「まずはいつもの神社に行き、関係を取り持って貰うように祈願しよう」

 直接、稲荷さまに行き、「これまでの相克を帳消しに」と申し出たところで、受け付けて貰えるとは限らない。

  そこで、急遽、いつもの神社に進路を変更したが、程なく五時で、五時になると神殿の扉が閉まってしまう。

 道を急ぎ、ようやく閉門前に内鳥居を潜って神殿の前に立った。

 

 ところが、前にいた壮年の男性が、祈願を始めると、そのまま固まって動かなくなった。

 よほど願い事があるのだろうが、そのまま五分、十分と過ぎて行く。

 「ちょっと礼儀知らずだな」

 他に参拝客がある時には、その人たちの邪魔にならぬように振舞うべきだ。

 後ろに待つ人が居れば、せいぜい一分内で済ませ、場所を譲るべきだ。

 後ろの者は、祈願している人と御神体を結ぶラインを遮ってはならないから、前に出ることが出来ない。

 仕方なく 、周囲の様子を眺めて男性が祈願を終えるのを待った。

 ちなみに、込み入った願い事をするなら、他の客がいない時間帯、例えば夜間とかに一人で来て、そこで祈願すべきだ。昼なら午後二時から四時の間だ。

 それと、心の中だけで念じても、神さまの耳には聞こえない。そこは人間と同じで、声に出して唱えなくては、ただの想像や妄想のままだ。

 一般人なら正式な作法は覚えなくてよいから、「どこそれに住む何の誰それがお願いに上がりました」で始めて、願い事を声に出して言うことだ。

 ま、神社は人事の達成や解決、すなわち現世利益をお願いするところではなく、日頃の神の守護に対し感謝を伝えるところだ。

 

 仕方なく外を見ていると、何となく遠くから私を見る視線を感じた。

 「イケネ。ここには通り道があるから、俺のような『もうあっち側の者』が長居をしたら、先方の目に付いてしまう」

 内鳥居の下に戻ると、そこで不味い事態が起きた。

 「頭に蜘蛛の巣がかかったような感触」を覚えたのだ。

 こりゃいかん。この感触は「(幽霊に)乗られた」ということだ。

 時刻を見ると、なんとあのジジイ(「男性」改め)は二十分以上も神殿の前に立っていやがった。

 さすがに頭に来て、前のジジイを大きく迂回して、中腰で奉納箱に近づき、柏手を打った。

 帰路にはすっかり腹を立て、「己のことしか考えぬ奴の祈願など、叶うわけがないさ」と、これは声に出さず頭の中だけで考えた。

 長居は無用だから、さっさと神社を後にした。

 

 駐車場で車に乗ると、やはり私の方に「ついて来ている」という実感がある。

 そこで、「せっかくここまで来たのだから、神殿の先の方に進むと他の者のいるところに入れるよ」と伝えた。穴は神殿の後ろの空中十五㍍くらいのところにある。

 「ま、短い間なら、俺の傍に居ても良いが、俺に手を掛けたり乗ったりはするなよ。離れたところにいることだ」

 もちろん、これは声に出して言ったのだが、窓が開いていたので、近くを歩く人に聞こえていたようだ。通りすがる人がこっちを見ていたので、慌ててスマホを手に持った。電話での会話のふりということ。

 

 念のため、帰路には大手スーパーに立ち寄り、沢山の客の中を通った。

 さらに念には念を押して、床屋に並んで髪を整えて貰った。

 これだけで、多くの場合、幽霊が離れ、ひとの間に消えて行く。

 普通の人は気付かぬし、まったく影響が無いから、問題なし。

 差し障りは、見えたり聞こえたりする者だけに起きる。「あの世」はそれを検知するものの前にだけに姿を現す。

 

 最近は死者に敬意を払わぬばかりか、自身の欲望を満たすために利用しようとする者が多い。そのためには、平気で噓をつき、欺瞞を垂れ流す。

 私が死ねば、そんな者のところにプレゼントを持って訪問しようと思うが、今は別の者に行って貰えば「この世」も「あの世」もウインウインだ。

 自分のスマホが老人・老婆の声で、「嘘つき」「嘘つき」と話し出したら、それはただの始まりだ。

 ま、酷い嘘はつかぬのが一番だ。

 メディアの皆さん。お前たちのことだからね。楽しみに待って居ろ。

 「あの世」が実在することを直に見せてあげる。