日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎どうせ死ぬべき命なら(その2)(632)

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令和四年二月二十八日撮影

◎どうせ死ぬべき命なら(その2)(632) 

 N湖を訪れた後、今の苦戦の始まりとなった稲荷にお参りすることにした。

 重大な「障り」を抱えているのは承知しているが、その相手が誰で、何を怒っているのかが分からねば解消に向けて働き掛けることが出来ないからだ。

 ひとつ間違えると、今日の内に総てが終わってしまうから、すごく緊張した。

 まずはお寺に行き、お不動さまにお線香を供える。

 その後で、境内の隅にある稲荷の前に立った。

 セージの線香を持参していたので、念のため手元にこれを携えている。

 私はその領域内に立ち入ることが出来ぬから、社が見える位置で祈りの言葉を述べた。

 「前回は不用意に立ち入ってしまい申し訳ありませんでした。この後はあなた様の領域を侵すことはせぬことをお約束します。よって私の不始末をお許しください」

 何か示唆が得られるかもしれぬので、遠目から撮影させて貰うことにした。

 すると、カメラがフリーズして作動しない。

 「自身の姿をさらすことを快く思わぬのだな」と思ったので、丁寧にお願いすることにした。

 「他の者にあの世を正しく理解させるために撮影させて下さい。お願いします」

 重ねてお願いすると、カメラが動くようになった。

 

 この時点では分からなかったが、帰宅してから確認すると、お坊さんの顔と高齢女性の姿が画像に残っていた。お坊さんは酷く怒った表情をしている。

 このお寺に関係したお坊さんだったのだ。

 私が不用意に彼の領域に立ち入ったため、怒りを覚えて私に障りを与えていたのだった。

 私は常時、周りに幾体もの幽霊を引き連れているから、勘に触ったようだ。

 秩父でお腹をひと突きしたのも、このお坊さんだった。

 

 やはり総ての原因は私だった。

 「私が境界を越えるというしくじりを犯したわけだな」

 僧侶や神職の幽霊は、他の者より強力な念を持つので、強い障りが生じたわけだ。

 なお、画像にはこの地の幽霊の姿が出ており、分かる人が見れば分かると思う。

 日頃、あまり気を払っていない者には見えぬ筈だが、障りをもたらす視線がある。

 これは他の者に見せる訳には行かない。

 私の不始末の解消は私自身で行わねばならないのだ。

 お寺を出る時に、もう一度お不動さまにお線香を上げた。

 今はお不動さまの力をお借りする必要がある。

 

 この後、私はいつもの神社に向かった。

 画像には、最近の傾向通り、あまりはっきりとした示唆が現れぬのだが、例えぼんやりでも、今は私の方が鋭敏になっている。

 私の背後には、既に手の届く位置に黒い人影が来ている。

 その後の画像では、手が肩に掛かっていると思う。

 これから繰り返し、そして可能な限り浄霊を施して行くが、間に合うかどうかは「あの世の者のみぞ知る」ということだ。

 

 この日はもの凄く緊張したので、夕方になると居間で寝入ってしまった。

 目覚めた後で、今日の後半の処理をした。

 期限はほぼひと月。この間に障りを鎮める必要がある。

 

追記)三月一日の午前一時半に、玄関のドアノブが引かれた。

 「ガチャ」という音が真下で響く。

 少し退いたが、何故起きるのかが分かっているので、見に行かなかった。

 これからこの手のが増えると思う。

 もし、私がこれを回避出来れば、「他の人にも死期を遅らせる可能性がある」ということ。何とか対処法を見付けねばならない。