◎病棟日誌 悲喜交々 「全部売ったのかあ」
まず画像の説明から。
点滴用の袋には「生食」と記してある。
この辺、商家育ちの当方は、反射的に「ホタテ」みたいなヤツが思い浮かんでしまう。
「病院でどんなナマモノを食うんだよ」
だが、さすがに数秒で「生理食塩水」の略だってことに気付く。頭文字を取って「生食」だ。
だが、この場合は意味を伝える方が主だから、後ろは食塩水の略の方はよくはないか?要は「生塩」だ。
内容の表示と言う意味では、こっちの方が適切なような気がするが。
さて、木曜の朝が発症七日目で、陰性になり三日以上経過している。朝は他の人と接触しないように入るが、帰路はフリー。
玄関前で看護師を待っていると、救急車が来た。
医療スタッフが出て来たが、皆ビニールを被っている。
要は感染重症者なわけだ。
そんなのは見れば分かるが、そのスタッフの一人が周りの人に「離れて下さい」と告げている。
当方も言われたが、「俺は別にいいよな」と思った。もうお仲間だし。
救急患者が去ると、今度は目の前に車椅子の爺さんが来た。
携帯で電話をするために玄関口まで出たらしい。
「※※※※はどうしたんだ?」
何か込み入った話をしているが、声がでかいから全部聞こえてしまう。
見たとこ七十台の前半で、会社経営者。
言葉遣いからすると、製造業のワンマン経営者で、従業員が百人以上いる会社の会長さんだ。社長はたぶん息子。
相手が人の商売だと、外では話し方が丁寧だが、製造業系は自分の顧客以外にはぞんざいな話し方をする。普段目にするのは使用人だから、自然とそうなる。
その爺さんの声がさらに一段でかくなった。
「なに。俺のを全部売ったのか。※※と※※も!!」
固有名詞が外車の車種の名前だったので、「車を売った」話だと分かる。
この爺さんは車好きだったのね。複数台の外車を持っていた。
それをたぶん家族が同意なしに売り払った、という展開だ。
車椅子の患者で申し訳ないが、面白い状況だ。
一体、どんな展開だよ。
ま、この爺さんはたぶん、梗塞系の急病で入院した(脳梗塞、心筋梗塞)。
症状にもよるが、救急搬送されたなら、一か月くらい入院する。
たぶん、状況があまり良くなく、家族は医師に「生存確率※※%」と告げられた。
おそらくコロナの三年のうちに会社は左前に近づいた。元々、かなり裕福だったが、今は大幅に減らしている。
そのお祖父ちゃんが死ぬかもしれんとなると、家族の頭には「相続」のことが思い浮かぶ。
資産の大半が爺さんの名義になっており、もしこの爺さんが死ぬと、その途端に銀行口座が凍結されてしまう。
動かせる金を用意して置かぬと、相続が終わるまでお金が固まってしまう。
「それ現金化だ」と個人口座から移そうとするが、もはやそんなにない。それなら手っ取り早く現金に替えられそうなものは、爺さんが死ぬ前に替えた方が無難だ。
で、家のガレージに止めてある外車三台に目が行く。
すぐに買い取り業者を呼んで売り払った。
こんな感じ。
この爺さんにしてみれば、昏睡から目が覚めると、倒れてからまだ十日も経っていないのに「自分の愛車が勝手に売られていた」という状況だ。
さぞ、「全身からシュウシュウと何かが抜けていく」感じがしているだろうと思う。
「俺は生きているのに、周りは俺が死んだものとしてサクサク先に進んでいる」
まっこと、ひとの関りなどちょっとしたことで無残に潰える。
だが、当方はこの爺さんは幸運だと思う。
少なくとも、今回は生き残った。
喜怒哀楽の一つひとつが「生きている証」なのだから、じっくりと味わった方が良い。
どうせ棺桶には車など入らないわけざんす。
生きていれば、またやり直して、別の車に乗ることも出来る。
昏睡状態の時に女房が勝手に離婚届けを出しており、目が覚めたら別の男と結婚していた、よりはまだはるかにまし。
例えこっちの状況でも、人生を立て直すことは全然出来る。
ちなみに、体感的には全然改善されておらず、頭痛はするわ、腹具合は悪いわ。
これが後遺症で長く残るとなると、実際しんどいと思う。
だが、当方は持病有りで、重症化間違いなしの腎臓病患者だ。生きているだけ有難い。
毎年のように生死を分かつ危機が来るが、その都度、「生きてるってのはすばらしい」と痛感する。
今の苦痛一つひとつも「生きてる」って意味だ。
ひたすら感謝の気持ちしかない。