日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎感染日記 5/30 発症四日目

感染日記 5/30 発症四日目

 火曜は通院日。指定時に病院の玄関前で電話を入れると、看護師が下りて来た。

 その看護師の先導で、当方が他の患者と一切接触しないように病棟に向かう。エレベーターなどの操作も看護師が行った。

 病棟では個室隔離に。前は予行演習だったが、今は本格隔離。

 

 五日目から六日目くらいまでは、まだ他にうつす可能性があるらしい。息子の発症は二十九日だったが、「六月二日までは接触を控えるように」と言われていたから、コアな期間は五日間くらい。もちろん、実際にはその人によるが、既にインフルと同じ扱いになったらしい。インフルだと三四日は休学・休職だから、こんなもんか。

 

 熱は下がったが、頭痛は変わらず、関節も痛い。昨日からは下痢も始まった。食事が摂れぬのでフラフラする。

 治療中にも血圧が下がり八十に。

 言われていた通り、症状にはかなりの個人差があるようだが、やっぱり常時、焦げ臭い匂いを感じる。

 家人は「食べ物に味が無い」と言うが、当方はあまり食べていないので違いが分からない。

 嗜好が変化するようで、家人は西瓜半玉を独りで食べた。

 実際、「メロンはダメだが、西瓜が妙に食べたくなる」のは当方も同じだ。普段は禁忌食品だが、食事の絶対量が少ないので多少食っても影響は小さい。

 

 寝てばかりいるので、あっという間に筋肉がなまり、階段の上り下りに掛け声が要る。ま、力が入らぬのはエネルギー不足か。

 

 朝の看護師の問診はいつも通りだった。

 「調子はどうですか?」

 「良いわけねえよねw。心臓は悪いわ、腎臓は働かねえわ、眼は見えねえわ、足が利かねえわ。おまけにコロナと来たもんだ」

 「もうボロボロですねえw」とオヤジ看護師。ツーカーだ。

 ここで定型句。

 「本人が最低と思える境遇は実は最低ではなくて、まだ二段も三段も下がある。もはや絶望のズンドコ節だわ」

 「全然へこたれていないようですよ」

 「生きている限りハンデはあるのが当たり前で、それが普通だと思えば何でもない。ハンデの質を理解している分だけ、それに気付かぬ者より優位に立てる。自分を貶めることも落ち込むことも無いんだよ」

 もちろん、空元気でござんす。正直、えれー具合が悪い。

 

 看護師が去った後、何気なく病室の景色を撮影したが、シャッターを押した直後にヒヤッとした。

 目視にはかからぬ光環境だが、カメラではアレが写る場合がある。

 「おいおい。朝からお迎えが立ってたりせんだろうな」

 だが、無意識に入り口の方を避けて撮っていた。

 現実に経験したから知っているが、「お迎え」はドアを普通に開けて入って来る。

 出入り口に立たれたら、もはや逃げ場がない。

 「石を隠すには砂山の中」で、他にも「死にかけの病人」がいれば間違えてそっちを連れて行くかもしれんが、個室では一人だけ。

 改めて「お袋が『個室は嫌だ』と言っていたのはこのことだ」と思い知った。

 自分が実際に経験するまでは「そんな馬鹿な話があるものか」と思っていたが、経験したから疑う余地はない。

 お迎えが「来てくれる」のは実は少数派で、死に間際の者のニ三割ではないかと思う。

 ひとを死へ誘うお迎えだが、来てくれた方が幸運だ。

 何故なら、相手がいるのは「交渉の余地がある」という意味になるからだ。

 実際、これまであの手この手で回避出来て来たが、昔、遠縁の金太郎さんの体験談を聞いていたのと、自身の実体験があったから、それが経験として役立っている。

 くどくどと心配する必要はないが、警戒は幾らしてもよい。

 

 あと二三日で安全域になる。

 今朝、先に発症していた家人が十日ぶりに出勤した。

 出がけに「普通は五日で治るのに私は十日だ」と嘆く。

 思わず「無症状だったり、五日で治るなんてのは若い人や健康な人の話だ。母さんはもはや殆ど高齢者なんだよ。状況が違いますって」と突っ込んだ。

 「病み上がりで疲れやすいんだから、無理をせず早退するんだぞ」

 これは足しとかないと、「コーレイシャ」の言葉だけが耳に残る。