◎夢の話 第1K90夜 安田記念を観る
三十日の午前三時に観た夢だ。
今年の安田記念は面白い。「過去十年で一番」「二十年で一番」かもしれぬ。
何せマイル周辺のG1馬十頭くらいによる争いだ。
これは是非とも観に行かねば。
スタンドに陣どってレースを待つ。
従前は競馬場に入るや否や続けざまにビールを飲んだものだが、今はそんなことは出来なくなった。
体が許すのは、たぶん一杯だけだから、本番が始まる直前に買って来よう。
その本番が近づき、場内が騒然となって来た。
「よし。そろそろ頃合いだな」
売店に行き、ビールを買う。
馬券自体は既に買ってあるから、あとは眺めるだけ。
どうかこないだのダービーみたいなことが起きないでくれ。馬は命懸けで、人間の欲望のために命を落とす者がいる。哀れで不憫。
しかし、心不全で倒れた馬を何か助ける手立てはなかったのだろうか。
心臓の発作ならAEDが有効な気がするが、馬用のAEDは無いのか?あればだいぶ違うような気がする。
考え事をしているうちにゲートが開いた。
名だたる名馬たちが一斉に走り出す。
レースの展開は予想した通りになった。
ジャックドールが他を離して逃げ、そのまま四角へ。
誰も競り掛けて来ないが、そりゃそうだ。
ジャックドールのスピードは半端ないから、もしコイツを捕まえに自ら動くと、最後の直線での足を失くしてしまう。レースは1200を過ぎたところからヨーイドンだ。
だが、ジャックドールの勝算はそこにある。
もし、自分の馬がこのレースに勝とうと思ったら、逃げ馬をマークしたりはしない。このレースは差し馬優位で、直線での足のある馬が勝つ傾向がある。勝負は直線の四百だ。
ジャックドールにしてみれば、如何にそれ迄にセイフティリードを作れるかということが勝負のカギを握る。ここで十五馬身程度離していれば、逃げ切れる可能性がある。
同一厩舎の多頭出しがあれば、一頭が仲間の有力馬のために、ジャックドールを競り潰しに行く戦法を取るが、しかし、少なくとも十頭は自分にも勝つチャンスがある。自ら動くと、自分の馬が潰れてしまう。逆にジャックドールから見ると、「標的にはなるが、誰も競り掛けて来ない」という状況は願ったり叶ったりとなる。
レースは、ジャックドールがそのまま逃げ切った。タイムは一分三十一秒二で、最近の記録と比較すると速い方だ。これより早ければ、たぶん直線でアラアラになっただろうが、上手く脚を残せた。
二着は穴目の牝馬だった。名前がはっきり分らぬが、たぶんナミュールではないか。
(夢の中では一着と三着は馬名まで鮮明に見えたのだが、この二着馬だけ牝馬であることしか分からなかった。)
三着がそれとひと目でわかる※※※※※。
「おお。夢で観た通りだ」
私は時々、予知夢のようなものを観ることがあり、それが現実と結びついていたりする。よって、そんな夢を「お告げ」と呼んでいる。
「お告げ」の場合、口外してはならないのだが、一着のジャックドールなら、五番人気には入るだろうから影響はない。この馬券で重要なのは二着三着だ。
三着ははっきりしているが、二着は鮮明ではない。ま、これは選択肢が限られるから推測でまとめる。
二着馬の記録が一分三十一秒四、三着が一分三十一秒五だった。
手元の馬券を見ると、その三連単に三十枚張っていた。
「四百倍の馬券だから、ざっと百二十万だな」
ま、少なくとも二頭が分かっているのだから、こんなもんだろ。
これを欲を張って大勝負に行ったりすると、運気を掻き回す行為となり、実現しなくなる。
これは吹聴するのと同じ意味だ。全体の動き・流れを変えずにさらっと手を添える必要がある。
また、前のめりになると罠に嵌められやすくなる。
「ところでシュネルマイスターやソングライン、ソダシは?」
どうやら前走激走組は反動があったらしく掲示板を外していた。
何事にも状況や流れと言うものがある。
ここで覚醒。
目覚めてすぐに「こりゃ知恵を絞る必要があるなあ」と思った。
お告げの夢の場合は、独特のリアル感があるから、すぐにそれと分かるのだが、今回はそれが無い。
よって、ただの願望であるケースが多い。
ジャックドールが一着のパターンは、様々な展開の中で五番目くらいに予想されるものだが、後ろ二頭が想定外だ。
それなら、三連複と単をとりあえず買って、笑って眺めているに限る。
もし正夢なら映画を観るくらいの費用で、「帯」のアガリを取る夢が観られる。
少なくとも一分半の間は。