日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々(1/23)「嫌だよ」

病棟日誌 悲喜交々(1/23)「嫌だよ」
 昨日、日に十回以上トイレに行ったので、この日の朝はおっかなびっくり。
 病棟では「途中で中断し今日は再開できぬかも」と申告した。
 ま、こういう時には仕方がない。
 病院の玄関トイレが一番空いているので、まずここに入ったが、まったく出なかった。
 トイレの前には「下痢の症状がある方は障害者用を使用してください」と貼ってあったので、ノロやインフルで腹を壊す人が沢山いるらしい。

 当方は病棟の入り口近くだが、ここには入院患者がベッドごと移動して来るスペースの隣だ。いつも二人くらいは入院患者がいる。
 治療を受けていると、入り口傍の患者が唸り始めた。
 「ううう。ああああ」
 この病棟では、かなり重篤な患者も来るので、事実上、「断末魔の叫び」だったりする。翌日から来なくなったりするのだが、ようはそのまま旅立ったということ。
 最初はモヤモヤしたが、半年も居ればすぐに慣れる。
 患者全員が生き死にの境目にいるわけなので、当たり前だ。

 院長が来て、唸る患者の診察をしたが、やり取りが全部聞こえる。
 「急性胆嚢炎です。すぐに手術が必要ですね」
 それなら今日中に手術をする必要があり、やらないと死ぬ。
 家人が罹ったことがあるので、この病気について承知しているが、お腹が急に西瓜みたいに膨れる。
 放置すれば死ぬが、かなりの激痛なのでそもそも放置など出来ない。
 ところが、その患者(たぶんアラ八十歳くらいの男性)は「嫌だよ」と答えた。
 「え、手術しないと命に関わりますよ」
 「でも嫌だ」

 この患者の気持ちはよく分かる。
 既に長い病歴を経てここに来ているから、治療を受けること自体に飽きているのだ。
 もはや「いつ死んでも良い」と思っている。
 でも、急性胆嚢炎とか膵炎は、とても我慢出来ぬくらいの激痛だ。胆嚢は腹が膨れるが、膵炎は痛いわ吐くわ下るわで七転八倒になる。ケツが閉まらず垂れ流しに。
 胆嚢の場合は切除するしか方法が無かったと思う。

 「こういう時に医師はどうするんだろうな」
 家族に相談し、その了解を得て手術するのか。
 しかし本人は拒否している。ううむ。
 処置のしようがない場合は、「せめてモルヒネを与えて、苦痛を軽減してやれ」と思うわけだが、この場合、処置は出来る。
 胆嚢の除去はそんなに難しい手術ではなかったのではないか(忘れた)。
 かたや患者の方は「もう十分生きたから死んでも良い」と思っている。だが「苦しんで死ぬ」となると想定外だろう。
 かくして病棟に叫び声がこだますることになる。
 脳卒中とか心筋梗塞だと「ある日突然」の感があるが、実はそんなに不幸な死に方ではない。キツいのは「激痛に苛まれるが軽減する方法がない」時だ。
 苦痛を軽減するために「麻酔を処方する」ことを日本の病院ではやらない。これは限りなく「安楽死」に近くなるからだと思う。
 だが、延命措置を施しつつ、苦痛を軽減する手立てを打たぬのなら、末期の時間はそれこそ地獄になる。

 母は十年くらい入院していたことがあるが、こういうのをいつも見ていたから、「個室は嫌だ。入りたくない」と言っていた。
 亡くなる直前には、誰でも必ず個室に入るが、「より死に近い位置」だからだと思う。
 当方はたぶん別の理由で、「個室には入りたくない」と思う。
 「今日にもお迎えが来るかもしれん」と思うからだ。
 実際に「お迎え」が来たことがあるが、ごく普通に病室の入り口からベッド際まで歩いて来た。
 その時、当方のベッドの前に、「今にもくたばりそうな重篤な患者」がいれば、そっちを先に連れて行くと思う。
 何事も序列順番は重要だ。

 叫び声を聞きながら、「自分だったらどうするんだろ」と考えさせられた。ま、心臓の治療は受けぬことにしたが、こいつはそんなに苦しまずに死ねる面がある。
 膵臓癌なんかだと、耐えきれぬほどの激痛だから、「いいです」と言えるかどうか。

 隣のジーサン(七十歳くらい)には、大動脈瘤があり「破裂すれば即死」だが、苦痛を感じる暇もないだろう。
 血圧の乱高下を避けると、そうそう破れることはなさそうだから「なるべく穏やかに暮らす」選択をした模様。

 画像はこの日の病院めし。
 鶏の唐揚げは三口で食べ終わるサイズだが、最近はこれでも「ちょっと量が多い」と感じるようになった。